疾不必生 , 徐不必死

 

おはようございます。

熊本、大分を中心とする九州地方での地震は余震が続いています。また、南米エクアドルでも大きな地震が発生し、多くの方が亡くなっています。地球規模で引き続き連動する可能性もあり、今後どこで何が起きるか予想もできません。いざという時のための準備、特に臨機応変に対応できる精神的なゆとりを持つことが何よりも大切かと思います。

 

中国の『晏子春秋』という古い書物に「疾不必生,徐不必死(慌てたからといっても生きられるわけではないし、のんびりしていたからといっても死ぬとは限らない)」という言葉があります。晏子は晏嬰(?~BC500年)という中国の春秋戦国時代の強国の一つである斉国で、斉の霊公、荘公光、景公の3代の王に仕えた名宰相です。

 

荘公光が家臣の崔杼と慶封に殺されたとき、晏嬰は急いでその場(崔杼邸)に駆けつけ、型通りの哭礼を行い帰ろうとした際に、崔杼の部下が晏嬰も殺そうとしたのですが、崔杼は人々に慕われ人気のある晏嬰を殺すのは得策でないと考え、止めさせました。晏嬰が崔杼邸から出てきたとき、晏嬰の部下が急ぎ馬車を走らせ帰宅しようとしましたが、晏嬰は前述の言葉を述べて、静かに帰宅の途に着いたということです。

 

今、中国の大都市では、至る所で車の大渋滞が発生しています。それがまた大気汚染の原因の一つになっているのですが、とにかく車での移動に関しては時間が全くよめません。スムーズに行く場合は時間が早すぎたり、事故や故障車によって思わぬところで大渋滞が生じてしまうことも少なくありません。あと5秒待てば車の流れがスムーズに行くところを、隙間をぬって頭を突っ込んできてニッチもサッチもいかなくなり、それが数十分、あるいは数時間の渋滞の原因になることもよくあります。

 

こんな状況に出くわす度に、よく先の晏嬰の言葉を思い浮かべるのですが、今の中国人にはなかなか理解できていないようです。もちろん日本でも、朝夕のラッシュ時の地下鉄での乗客の行動を見ていると、降りる人の迷惑を顧みず空いている席目掛けて一目散にダッシュする人、電車のベルが鳴り終わって扉が閉まりかけているのに、無理やり乗り込もうとしてドアに挟まれる人など、不快でしかも危険極まりない光景をよく目にします。

 

今回の九州地方での地震でもそうですが、突然の揺れに驚きパニックに陥ることが何よりも危険です。常に地震が起きることを想定し、たとえ起きたとしても慌てないよう、落ち着いて行動することが重要です。私も事ある毎にこの晏嬰の言葉を思い浮かべ、冷静沈着に行動できるよう心掛けています。

 

高見澤

2016.4.18

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このページは、東藝術倶楽部広報が2016年4月20日 21:56に書いたブログ記事です。

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