東藝術倶楽部瓦版 20160525 :世界最古の運河の一つ「霊渠」

 

おはようございます。

月曜日に暑さのピークを迎えましたが、昨日から今日にかけては気温が下がり、比較的過ごしやすくなっている東京です。湿度が上がってきているのが感じられますので、気温の上がり方次第では、蒸し暑くなる日があるかもしれません。

 

ところで、昨日のメルマガでの西門豹のお話ですが、結果的に何が言いたかったのか、お分かりになる方も少なくはないと思います。後になってから、気付いたという経験もあるかと思います。本当にこの世界はよくできているものだと感心させられます。

 

さて、皆さんは「秦の始皇帝」という人物はご存知かと思います。私は会ったことはありませんが(当たり前ですよね、紀元前3世紀の人ですから...(^_^;))、仕事柄それなりに研究したことはあります。その秦の始皇帝の時代に造られた運河が残っており、今でも立派に機能していると知ったら驚きませんか?

 

場所は広西チワン族自治区(「自治区」は「直轄市」や「省」中国の一番大きな行政単位の一つで、少数民族が多く住んでいる地域)の桂林(水墨画の風景で有名な景勝地)市興安県にあります。その運河は「霊渠」と呼ばれ、世界最古の運河の一つであり、中国の全国重点文物保護単位となっています。

全長33.1キロメートル、長江の支流である湘江と水墨画の風景で有名な漓江(珠江水系最大の支流である西江の支流)を結んでいます。全36カ所の水門で水位を調節する高度な技術が施されており、海抜が一番高い入口は212.1メートル、一番低い出口は181.8メートルで高低差は30.3メートル、平均傾斜角度は1.09度ですから、流れとしては比較的ゆっくりです。私も大分前になりますが、この霊渠を訪れたことがあり、その時にガイドから分水の仕組みや建設技術などを説明してもらいました(大分忘れていますが...)。

 

紀元前221年に建設が始まり、7年の歳月を掛けて214年に完成しました。当初は秦の軍事用として築かれました。秦の始皇帝は、全国統一を図るためにこの運河を利用して50万の大軍を南方に送り込んだというのですから、すでに当時から今の規模の運河が築かれていたのでしょう。その後12世紀頃から灌漑用として使われるようになったとのことで、今でも農作物の生産に大きな役割を果たしています。

軍事用から民用に転用された技術の典型的な例ですが、2200年の歳月をものともせず、今もってしっかりと機能しているインフラ設備として、当時の土木の技術水準の高さには驚かさせるものがあります。

 

 

高見澤

2021年1月

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このページは、東藝術倶楽部広報が2016年5月25日 13:11に書いたブログ記事です。

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