企業の社会的責任

 

おはようございます。

今朝の都心は昨夕からの雨も止み、少しばかりの日差しもあり、比較的暑く感じます。本日は中国からのお客さんとの会食があり、一応上着とネクタイを準備してきましたので、朝の通勤時に少々汗をかきました。

 

さて、昨日は「おもてなし」と「江戸しぐさ」について、私の思うところを紹介させていただきました。本日はそれに関連し、近年日本企業が盛んに主張している企業の社会的責任(CSRCorporate Social Responsibility)についてお話しようと思います。

 

「江戸しぐさ」という言葉の存在や概念についての議論よりも、もともと江戸の人々に自然に備わっていた他の人への思いやりが知らず知らずのうちに表に出てくることが何よりも重要なことで、この精神が「おもてなし」につながっていると、昨日は述べました。

 

思うに、企業が言うような社会的責任というものについても、本来の企業のビジネス活動そのものが本来であれば社会的責任を果たすものではないでしょうか。つまり、企業が本来のビジネスをしてさえすれば、わざわざCSRなどという言葉を持ち出す必要などないのではないか、ということなのです。

では、今ごろになってわざわざCSRという概念を創出し、その言葉を高らかに謳わなければならないのでしょうか? そこには企業自体に、世間に対してCSRを宣伝しなければならないという意識が存在する、裏を返せばそうせざるを得ないやましい思いが存在するのではないか、と勘繰られても仕方ないということでしょうか。

 

原則論からいえば、企業がモノを生産し、サービスを提供することは、他の人ができないことをしてあげることで対価を受け取る、というのが本来のビジネスです。投資家にしても、カネを持っているが、自分ができないことを実現してもらうために、その人に資金を提供することで、社会的責任を果たす、というのが本来の責務ではないかと思います。

 

米国の石油業界を牛耳っているロックフェラー一族の設立したロックフェラー財団のように、その組織は多額の資金を社会福祉やボランティアに投じているから、社会的責任を果たし、社会貢献に努めている、と早合点しがちですが、今なぜそうした行為をしなければならないのか、という視点で物事を見ると、また違った見方もできるのです。そのようなうがった見方をしなければならないこの世界の性にはうんざりですが、自分の身を守るためにも、本質を理解することが大切でしょう。

 

今話題のパナマ文書の公開問題も、国家要人や企業経営者によるタックスヘブンを活用した税金逃れというテーマそのものよりも、なぜ今この時期に公開するのか...という視点で考えてみては如何でしょう。

 

高見澤

2016.5.11

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このページは、東藝術倶楽部広報が2016年5月11日 13:23に書いたブログ記事です。

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