東藝術倶楽部瓦版 20160616 :ヨーロッパの上下水

 

おはようございます。

連日ニュースでは、東京都の舛添知事の公費や政治資金の使い方を巡って問題が取り沙汰されており、知事もついに辞職を決めたようです。国や都の税金ですから、できるだけ費用の使い道には透明性を高めてもらいたいところですが、政策的に公開が難しいところもあることは理解しているつもりです。もちろん、舛添知事を擁護するつもりは毛頭ありませんが、このような「せこい」事案で個人叩きとして大騒ぎする前に、本業である彼の行っている都政に関しての議論で盛り上がらない日本国民、東京都民の意識の低さに憂慮するばかりです。

 

さて、これまで江戸の上下水道についてご紹介してきましたが、では、その当時の世界の水道事情はどうだったのでしょうか。

 

ヨーロッパでは、古代ローマ時代にはすでに自然流水式の上水道が存在していました。ただ、江戸時代初期の17世紀初頭では雨水の利用が多かったようです。17世紀にもっとも繁栄していたといわれるオランダのアムステルダムでも上水道はなく、市民は雨水をレンガ造りの地下のタンクに溜めて、それをポンプで汲み上げて飲料水や生活用水として使っていました。金持ちなどは船で運ばれてきたきれいな水を使う場合もあったようです。

17世紀のイギリス・ロンドンでは、テムズ川支流の上流の水を水道管で市内に導水していましたが、漏水率は高く、高価であったために、あまり普及していなかったようです。

 

一方、下水に関連して、当時のヨーロッパのトイレ事情は一般に「オマル」が使われていたようです。オマルに溜められた排泄物を排水溝に捨てていました。3階や4階の住人は、それを窓から捨てているケースもあったようで、衛生的には大いに問題です。石を敷き詰めた舗装道路に積もる汚物、その悪臭は想像を絶するものであったに違いありません。

アムステルダムでは、汚物はビヤピットと呼ばれる地中に設置されたレンガ造りのタンクに溜められ、まとめて郊外の運河沿いに捨てられていましたが、時には汚物をそのまま市内で垂れ流すこともあったようです。また、フランス・パリでは、王侯貴族が住むベルサイユ等の宮殿でさえトイレの数は少なく、宮殿全体が悪臭を放ち、中庭、階段、バルコニーで用をたすことに何の恥じらいもないといった状態だったようです。ロンドンでも1858年にテムズ川に端を発する「大悪臭」騒動が発生しています。これは、急激に広まった水洗トイレの汚水が溢れ出て道路にある雨水用の排水口からテムズ川に流れ込んだことが原因だったようです。

 

このような状態では、いくら上水道が整備されていたとしても、上水道に下水や汚物が混入すれば、腸チフスやコレラなどの感染症が流行するのは当たり前です。以前、五井野博士が指摘されていましたが、東洋のように排泄物を有機肥料として再利用する発想が、一般的には当時のヨーロッパにはなかったようですね(一部ではかなりの高値で取引されたところもありますが、江戸のように一般的ではなかったようです)。

明治維新以降、日本でも西洋式の生活スタイルが導入されるとともに、江戸時代に使われてきた上下水道のシステムが機能しなくなり、廃止に追い込まれる背景には、こうしたヨーロッパの衛生観念の影響があったのではないかと思われるのですが...

 

ヨーロッパでは、このような不衛生な状態が改善されるのは19世紀になってからで、パリで作られた近代式の下水道が次第に普及していきます。

 

高見澤

2021年1月

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このページは、東藝術倶楽部広報が2016年6月16日 08:38に書いたブログ記事です。

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