東藝術倶楽部瓦版 20160629 :現代の食材①化学物質

 

おはようございます。

今朝の東京都心は曇り。雨はまだ降っていませんが、梅雨を思わせる天気です。都心もそうですが、関東に水瓶にも少し多めの雨が欲しいところです。これから夏にかけて、水不足が心配です。

 

さて、昨晩、皆さんは何を食べましたか? 私は麻婆豆腐、カレイの唐揚、刺身が少々と味噌汁、たくあんでした。皆さんも思い出せるようでしたら、まだ認知症にはなっていませんので、ご安心ください。私自身、最近は物忘れや勘違いが多くて困っています。これも五井野博士がよく指摘されるように、放射能の影響かと思うところですが、人に言わせれば「歳」だとか...。

 

今、世界中の食材には、自然に生育すれば入りえないさまざまな物質が混入しています。食品添加物や農薬、化学肥料などの化学物質、重金属、それに放射性物質などです。一方、我々が、本当に美味しいと思うのは、やはりその土地の自然の中で育った季節の食材のうま味を活かした料理を、楽しい雰囲気の中で食するときではないでしょうか。いわば「地産地消」、「旬」、「家族団らん」です。

 

ところが、現代社会は農業技術、輸送交通や物流技術の発展(?)により、季節や場所に関係なくいろいろな食材が手に入り、外国の珍しい野菜や果物でさえ、そこに行かずに味わうことができるのです。時代が進歩したと言えばそれまでですが、本当にそれで良いのでしょうか? もちろん、そうした体験ができること自体は素晴らしいことだと思いますが、そうした生活スタイルが定着してしまうことに、危惧せざるを得ません。

 

農薬や化学肥料、食品添加物等について、日本で最初に問題視されたのは五井野博士です。それまでにも、米国では1962年に生物学者のレイチェル・カーソン(Rachel Louise Carson)が"Silent Spring"(『沈黙の春』)という著書の中で、DDTをはじめとする農薬や化学肥料の危険性を訴えてはいましたが、重金属や食品添加物まで踏み込んだのは五井野博士が初めてではなかったでしょうか。実際には博士は、富士五湖での魚腹の「穴あき病」を調査、発見して環境問題として世間に訴えました。そして、そのことが、その後の環境活動の原点の一つになったのではないでしょうか。

事実、日本は高度経済成長期に四大公害病と呼ばれる重金属や難解性の化学物質による病気で苦しむ人が多くいました。今ではその原因が化学工場から排出された有機水銀やカドミウム、SOxNOxなどと特定されていますが、当時、企業側はそれを否定していたのですから、その罪の重さは尋常ではありません。

 

農薬や化学肥料を使って育てた野菜や果物の味は非常に薄い感じがします。つまり、味とともに栄養価も少ないのではないかと思います。ですから、身体が栄養を欲して、食べる量を増やすことで栄養を補おうとします。ところが、量をたくさん撮るということは、その分カロリーまで摂取してしまうことになります。新陳代謝が旺盛な若いときはまだしも、歳をとってからでは摂取したカロリーを消化できずに身体に溜まり、それが肥満の原因になるのではないかと思うのですが、皆さんのお考えは如何でしょうか?

 

塩と高血圧との関係もこの理論が当てはまります。このことは又聞きですが、以前、五井野博士が話されたという話を紹介しておきましょう。

専売公社が売っていたイオン交換法で作られた塩は、いわゆる「塩」ではなく化学物質の「塩化ナトリウム」で、ミネラルなどはまったく入っていません。人間の血液は、海水の中のミネラルの成分構成とほぼ同じで、ミネラルが足りなくなると身体が自然に塩を欲するようになります。海水から作られた自然塩は、いろいろなミネラルが含まれていますので、身体はそれで満足して必要以上の塩を欲しなくなります。

ところが、単なる塩化ナトリウムだと塩辛い味だけはしますが、その他のミネラルが入っていません。ですから、身体は塩をさらに要求します。しかし入ってくるのは塩化ナトリウムだけですから、不足状態は続き、さらに塩化ナトリウムを摂取するという悪循環に陥ります。それが高血圧につながるのだと。

塩化ナトリウムは水溶性で、多少多く取り入れても汗や尿として排出されますが、それにも限度があります。

 

そして、現代農法で栽培された野菜や果物には、微量ですが農薬が残っています。また、生産地から消費地までの長い流通時間を踏まえ、品質や外観を保つようこれもまた微量ですが防腐剤、保存料、防虫剤、発色剤、防カビ剤、酸化防止剤、甘味料、香料等ありとあらゆる食品添加物が入れられています。

これらの化学物質の多くは石油から作られています。これらは脂溶性ですから、水溶性の物質と違って汗や尿として排出されにくく、徐々に身体に蓄積されていきます。そして、その蓄積が限界点を超えたときにガンなどの病気として発症、という過程をたどるのではないでしょうか。

 

もちろん、西洋文明が入ってくる江戸時代以前には、このようなことはありませんでした。やはり人間は自然とともにあることが、最も基本的な前提ではないでしょうか?


高見澤

2021年1月

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このページは、東藝術倶楽部広報が2016年6月29日 11:46に書いたブログ記事です。

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