おはようございます。我が職場は先週末に引っ越しを終え、昨日から新たな事務所で執務を開始しました。前の職場が何かと便利だったものですから、食事や買い物、おカネの引き出しにも少し不便を感じています。その分、家賃は安く、会議室は広くなり、応接室が増えました。通勤は遠くなりました。
昨日は中国の「酢」について紹介しましたので、本日は日本の「酢」についてお話ししたいと思います。ただ、その前に昨日の中国の酢の補足をさせていただきます。
中国では、北方では小麦、南方では米が主食となっています。これについては、後日改めてご紹介しますが、南方の江蘇省では、このために米から酢が造られることが分かりますね。では、北方の山西省では小麦から...というと、そういうわけではありません。もちろん、小麦からも酢はできますが、そんなもったいないことはしません。アルカリ土壌の場所が多い山西省では、小麦栽培に適した耕地が少なく、それを補うためにアルカリ土壌に強いコーリャンを育てているのです。不味いコーリャンはそのまま食べるよりも、酒や酢にした方がよっぽど使い道があるのですね。
さて、現代では日本でも料理に欠かせない酢ですが、この酢が中国から日本に伝わったのは奈良時代だと言われています。伝来当初は朝廷で米が原料の酢を造っていたそうで、それは貴重なものだったようです。江戸時代の初めになっても、酢は大坂方面から仕入れられたものしかなく、江戸時代初期の江戸の庶民にとって酢は高嶺の花でした。
この高嶺の花だった酢が、江戸の庶民に広まり出したのは江戸時代後期の文化期(1804~1818年)になってからです。江戸で酒の販売に苦戦していた中埜左衛門(この人物は調べてみましたが、詳細は分かりませんでした)という人が、酒を搾った後の酒粕を原料にして酢を造り、商品化したとのこと。いわゆる「かす酢」です。酒発酵をさらに進めると酢になりますよね。また、原料が酒粕ですから、コストも安かったのでしょう。100万都市だった江戸に大量供給され、瞬く間に広まったそうです。この他にも、柑橘類の搾り汁も酢として使われたようです。
当時は酢と塩で手早く酢飯にする「早ずし(今の握りずしの原型)」が広まり、文政期(1818~1830年)には、すし職人の初代華(花)屋与兵衛が江戸の握りずしを大成させます。このとき使われたのが大量供給されていたかす酢で、すし屋は今でいう江戸のファーストフードとして、江戸っ子の間で大人気となりました。
かす酢は、その色合いから「赤酢」と呼ばれます。コクがあり、現代でも江戸前ずしの店から引き合いが多いと言われます。長く寝かせた酒粕ほど茶色く、熟成した酒かすに酢酸菌を入れて自然発酵させます。長期熟成した酒粕から造る赤酢は、コクに加えて酸味も強くなります。蔵によって酢酸菌の種類や酒かす自体が異なるので、同じ長期熟成でも味が違ってくるといいます。
自然の力で造られる酢は、原料が米であれ、酒粕であれ、あるいはコーリャンであれ、それぞれに独特の風味があり、心身ともに健康にさせてくれます。自然の恵みに感謝しながら、毎日美味しい食事をいただきたいものです。
高見澤