東藝術倶楽部瓦版 20160719 :世界に愛される万能調味料ー醤油

 

おはようございます。先週末の日曜日、久しぶりに五井野博士の講演会に参加してきました。初めての方もいたので、講演会自体でのお話しはいつも通りの初級からでしたが、随所にレベルの高いお話しも盛り込まれ、予定されていた時間をかなりオーバー、それでも博士はいつも通りのパワフルさでお話しを続けられていました。また、久しぶりに東藝術倶楽部の会員の方々ともお会いでき、懐かしさを覚えました。また、勉強会等の機会ができればと思っています。

 

さて、本日のテーマは「醤油」です。

欧州、中東、東南アジアなど世界的な料理にはふんだんに何種類、何十種類ものスパイスが使われます。料理人はその組み合わせを丹念に研究しながら、自分の料理を完成させていきます。

ところが日本料理では、スパイスを使うことはあまりありません。ショウガやニンニク、ワサビなどを薬味として使うことはありますが、それはスパイスとは別物です。日本でスパイスが発展しなかった理由として、この万能調味料である「醤油」があったからだという人もいます。

 

醤油のルーツは、味噌のお話しでも出てきた「醤(jiang)」にあります。「穀醤」ですね。鎌倉時代に今のような味噌が作られたことは前回ご紹介した通りですが、紀州(和歌山県)・湯浅の村人たちが、その味噌を造る過程でそこから染みだす汁がとても美味しいことに気付き、それが今でいうところの「たまり醤油」になったと言われています。

 

この紀州・湯浅で生まれた醤油の製法はその後発展していきます。天正年間(15731593年)には、日本で最初の醤油屋「玉井醤」が、味噌と醤油の商売を始めたと言われます。天正16年(1588)には、紀州から100石(約18,000リットル)のたまり醤油が大坂に送られた記録が残っています。

当時の大坂では、庶民の間でも醤油は既に日常的に使われていたようですが、関東では醤油自体は伝わっていたものの、製造までには至っておらず、上方(関西)から運ばれていたものを使っていました。上方から運ばれてくることから「下り醤油」と呼ばれ、珍重されていたようです。

 

江戸時代になり、元禄から享保の頃(16881736年)に、江戸っ子の口に合う濃口の醤油が造られ始めます。関西の「下り醤油」に対して、「地回り醤油」と呼ばれました。今の「濃い口醤油」に当るものです。こうして珍重されたいた醤油が、関東の庶民の口にも気軽に入るようになったのです。

その頃から関東での醤油造りが盛んになります。千葉県の野田や銚子などは、原料の大豆や小麦が栽培され、利根川や江戸川等の水路にも恵まれていたことから、関東の醤油の一大産地となっていき、現在でも醤油造りは続いています。

 

そして何よりも驚きなのが、江戸時代には既にこの醤油が海外に輸出されていたということです。江戸時代は鎖国だったと言われますが、長崎の出島は今でいう出入国管理地域だったと考えれば、中国やオランダを通じて海外に渡航できたわけですから、「鎖国」という言葉自体に作為的なものを感じざるを得ません。

中国船やオランダ船によって中国、東南アジア、オランダまで運ばれた醤油は、大坂・堺、京都、九州産が主だったようです。

現在、醤油は万能調味料として世界中で使われるようになりました。中国でも醤油はありますが、日本のものとは味が大分異なります。中国人の中には、中国の醤油よりも日本の醤油を好む人たちが増えてきています。従来、生ものを食す習慣のなかった中国で、刺身の船盛を頼んで、ワサビと醤油で食べている若者をみると、時代の変化を感じてしまいます。やはり美味しく健康に良い食べ物は、時代の変化とともに世界中に広がっていくものなのです。

 

最後に一言。本来醤油は添加物を加える必要のない保存食・調味料です。近年、酵母の一種である白カビの発生を防止する目的でアルコールや保存料を加えることがありますが、白カビが発生するのはその醤油が生きてるからで、白カビ自体に危険はありません。白カビが嫌なら、開封後は冷蔵庫で保存すればある程度は防げます。また、地方によっては甘い醤油が好まれるために甘味料が加えられたり、色の調整のためにカラメル色素が加えられたりすることもあります。

しかし、食品は自然が一番です。保存食に保存料を入れても何の意味もありません。新鮮なものは新鮮なうちに食べるべきです。せっかくの健康食が健康食でなくなってしまいます。

添加物を使用した場合には、原材料の表示欄に記載していますので、ぜひご確認ください。

 

高見澤

2021年1月

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このブログ記事について

このページは、東藝術倶楽部広報が2016年7月19日 12:09に書いたブログ記事です。

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