東藝術倶楽部瓦版 20160819 :江戸前と旅もの

 

おはようございます。

昨日の東京は相変わらず雨が降ったり止んだりの不安定な天気でした。このような不安定な状態は、今後激しさを増すようになるものと思われます。地球自体に大きな変化が起きている証拠であり、一刻も早く安全な場所に避難する必要があるのかもしれません。

 

さて、昨日の江戸前のお話しの続きですが、通常「江戸前」といえば、「江戸前の海で獲れた魚」を指します。江戸前の大体の場所は前回のメルマガでお分かりいただけたものと思いますが、海そのものに境界線があるわけではないので、その外側で獲れた魚も江戸前として取り扱われていました。東京湾の内海(三浦半島の観音崎と千葉県富津岬を結んだ線より北側)で漁獲されて、日本橋の魚河岸に直接搬入された魚も江戸前だったのです。

 

江戸前に対して「旅もの」という魚があります。これは江戸前以外の遠隔地から江戸に入ってくる魚を指し、江戸時代前期には塩漬けや干物がほとんどでした。それが江戸時代中期になると、外房や九十九里浜、相模湾、伊豆半島などから生魚も入ってくるようになりますが、現代のような冷凍技術やコールド・チェーンと呼ばれる物流システムなどありませんから、いくら急いだとしても2~3日は経っているので、鮮度はかなり落ちます。つまり、江戸前は鮮度の良さを示すブランドでもあったわけなのです。

 

東京湾には、主なものだけでも多摩川、隅田川、荒川、江戸川といった河川が流れ込んでいます。このため、魚のエサとなるプランクトンが豊富にいることから、江戸前は旅ものよりは栄養も味も勝っているといわれます。しかし、こうした江戸前の恵みを江戸の人たちが十分に受けるようになるまでには、少し時間がかかったようです。

 

基本的に動物の肉を食べない江戸時代の日本人にとって、海の恵みは重要な蛋白源の一つでした。

この続きは、次回ご紹介したいと思います。

 

高見澤

2021年1月

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このページは、東藝術倶楽部広報が2016年8月19日 15:59に書いたブログ記事です。

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