東藝術倶楽部瓦版 20160801 :江戸の料理革命-主食編その③

 

おはようございます。

先週金曜日に北京から戻ってきました。北京では珍しく蒸し暑い日が続いており、今年は雨が多いことがうかがわれました。水不足の北京にとっては恵みの雨かと思いきや、雨水対策が十分でなく、少しの大雨で都市機能がマヒする可能性もあり、場合によっては身近でも命の危険を感じる場所も少なくありません。早急なる対策が必要でしょう。

そして昨日は東京都知事選、小池百合子氏が早々に当選確実を決め、圧倒的な強さを見せました。初の女性都知事誕生です。これから東京都がどう変わるのか、注目していきたいところです。

 

さて、江戸時代の主食、米に関する最大の料理革命と言えば、何といっても庶民が白米を食べるようになったことでしょうか。戦国時代以前は、貴族の食卓や酒造りでは精米した白米を使っていましたが、庶民は玄米を食していたようです。それが、江戸時代に入ると庶民の食卓にも白米が上がるようになり、特に江戸中期以降は、長屋の住人でさえも一般的に食するようになりました。

 

従来、米を精米するには、籾殻の付いた米と籾を臼に籾を入れて、杵で叩いて籾殻を取り除いた後、しばらく続けて叩いていると、玄米の糠まで取れて白米にする手法が採られていました。かなりの時間と労力が必要だったので、毎日の炊飯用にここまですることはできませんでした。

それが江戸時代になると、戦乱の世が治まり、兵役や普請の必要がなくなったために、農閑期に駆り出されていた男手に余裕が生まれ、それと同時に中国から「唐臼(からうす)」と呼ばれる足踏み式の臼が導入されたことから、精米の効率が一気に高まり、一般庶民の間でも白米が食べられるようになったというわけです。

 

江戸時代には「江戸わずらい」という病が流行りました。足が浮腫み、身体が怠くなり、歩行が困難になり、最終的には抹消神経障害をきたして心不全でご臨終...これは、明らかなるビタミンB群の不足からくる「脚気」という病気です。この瓦版でも以前ご紹介したこともありますが、白米を食べるようになって、糠に含まれるビタミンB群が欠乏したことによる現象です。

 

こうした人々が江戸を離れ、農村に戻って生活するようになると、白米だけではなく、野菜や山菜、糠漬けなどを食べることで、ビタミンB群が補給されて、脚気が自然と治っていく...ということもあったようです。

料理革命によって白米が食べられるようになっても、精米過程で生じる糠を再利用することで、米そのものに含まれる栄養素も身体に入れることができるのです。無駄なものは一切出さないリサイクルの精神、ゼロエミッションの理想的世界の一端をここに垣間見ることができます。

 

高見澤

2021年1月

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このページは、東藝術倶楽部広報が2016年8月 2日 13:18に書いたブログ記事です。

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