おはようございます。
東京も大分涼しさを感じるようになりました。とはいえ、天気は相変わらず不安定で、地球の営みが大きく変わりつつある雰囲気を感じています。
昨晩の人権擁護連盟関係者のパーティには、途中からしか参加できず大変残念でした。それでも、博士のお話を少しでも聞くことができました。
さて、そろそろ秋の気配を感じる季節です。秋といえば秋刀魚ですね。ただ、今年は異変が起きていて、秋刀魚の値段がかなり高いようです。先日の新聞には、卸売価格が昨年の3倍だと書かれていました。その原因として、中国や台湾の漁船が、公海上で大量に秋刀魚を捕獲しているからだとの報道をみましたが、果たしてそうなのでしょうか? 海も生き物です。あれから5年半近く、何らかの異変が起きていてもおかしくはありません。
中々活きのいい魚を食べることができなかった江戸の庶民にとって、日常の魚といえば干し魚と塩魚でした。その中で、代表的なのが秋刀魚と鮭です。今では秋刀魚は新鮮なのが当たり前ですが、当時の秋刀魚の漁場は、寒流が南下する鹿島灘や銚子の沖でした。水揚げされた秋刀魚は、銚子から利根川を遡り、途中陸路に変えて、さらに江戸川を下るルートで江戸に入るわけですから、最短でも30時間、丸1日以上かかってしまいます。鮮度の落ちやすい秋刀魚はそのまま運ぶと売れないため、銚子であらかじめ塩を振って、塩秋刀魚として運んでいたのです。これが江戸に到着するころには、ちょうどいい塩加減になっていたことでしょう。
江戸では、この秋刀魚を売るのは魚屋ではなく塩物屋で、秋になると秋刀魚の入った籠をさげて売り歩きました。それでも江戸中期までは下魚だといって一般には人気がなく、塩分や脂肪分を摂取したい肉体労働者が好んで食べていたようです。それが寛政年間(1789~1801年)頃になると、一般にも食べられるようになり、出初めには「初物」として先を争って買うほどに人気が高まったようです。
秋の風物詩、今年は気軽に堪能できるのでしょうか?
高見澤