おはようございます。今日から9月です。月日が経つのは早いものです。
台風が過ぎ去った後、晴れの日が続く東京では、数日前の真夏のような暑さも過ぎ去り、今朝の風は比較的爽やかでした。
さて、本日は江戸の人々が食べていた魚について、ご紹介したいと思います。
文政2年(1824年)に出版された『武江物産志』という書物があります。江戸近郊の物産や動植物について書かれた自然志で、ここには海魚42種、川魚17種、貝類11種が挙げられています。
これらの魚には、それぞれ上魚、下魚といったランキングがあったようです。上魚の上位から、コイ、タイ、アユ、エビ、キス、スズキが並び、下魚は下からイワシ、サバ、アジ、フナ、マグロと並んでいきます。このランキングは、平安時代から宮中で料理を儀式として取り仕切ってきた四条流の『四条流包丁書』に書かれているとのことで、江戸時代には将軍家の料理にも取り入れられた格式でした。
原則として、海の魚は白身魚が上魚だったようで、特にタイは江戸城をはじめ、武家屋敷でも祝い事の席にはなくてはならない魚でした。今でも、「メデタイ」との語呂合わせで、縁起の良い魚とされていますよね。それに対して、タイにはあまり縁がなかった庶民が食べていたのが下魚です。特にイワシは漁獲量が最も多く、干せば目刺しとして保存もできるので、重宝されていたようです。販売も魚屋ではなく、イワシ専門の棒手振りの行商が、毎日長屋に来ていました。
今では同じ量の牛肉や銀よりも高い大トロを有するマグロですが、江戸時代中期までは漁獲地が房総半島の南端・布良(めら)村沖だったため、輸送に時間がかかり鮮度が落ちてしまうので、当然生で食べることはせず、火を通してから食べるのが一般的だったようです。それが江戸時代後期になると、海流の変化で三浦半島沖でも大量に獲れるようになり、新鮮なマグロが日本橋に届くようになり、生で食べられるようになりました。マグロは魚体が大きいのでそのまま売ることはできません。今はスーパーや魚屋では縦に下ろして「柵(さく)」にして売っていますが、当時は胴を輪切りにして販売していたようです。『江戸名所図会』には、当時の日本橋の魚市場で、マグロが運ばれたり、輪切りにされて売られている様子が描かれています。
今では高値で取引される脂肪の多いトロですが、当時は「猫またぎ」などと言われ、猫でさえも食べないとされていました。江戸時代は、脂肪の層が筋に見えたことから「だんだら」とか、脂肪が溶けて気持ちが悪かったことから「ズルズル」とか呼ばれていました。
時代によって、モノの価値が大きく変わるものなのですね。
高見澤