おはようございます。今日から11月、今朝の東京は雨が降っています。
昨日の肉食に関連し、今日は「牛乳」についてお話ししたいと思います。
日本では、『日本書紀』に「牛酒」という記述があるなど、奈良時代には一部の階層で乳製品が食べられていたようです。しかし、天武天皇4年(675年)以降、度重なる肉食禁止令(屠殺禁止令)が出され、仏教の普及とともに次第に乳製品を食べる習慣は薄れていきました。牛乳を飲むと牛になるという迷信を聞きつけた少年時代の織田信長が、実際に牛になるかどうかを試すために牛乳を飲んだという逸話もあるくらい、一般的には飲まれていなかったようです。
それが、江戸時代中期、8代将軍吉宗の時代に牛乳の生産が復活します。吉宗は軍事力強化のために西洋品種の馬を輸入しました。当時の日本の馬が小型で足が遅かったのに対し、サラブレッドやアラブ種は大型で足が速かったからです。その馬の治療に必要だったのが牛乳やバターでした。そこで吉宗は享保12年(1727年)にオランダに依頼してインド産の乳牛を3頭輸入しました。その牛は安房国(千葉県)にある幕府の御用牧場である嶺岡牧場で飼育されることになりました。
寛政4年(1792年)には70頭まで増えたため、11代将軍家斉はこれらの牛から搾った牛乳を利用するため、医師の桃井桃庵(ももいとうあん)に『白牛酪考(はくぎゅうらくこう)』という本を書かせ、そこに牛乳を煮詰めてつくる「白牛酪」の効能を記しました。それによると、腎虚(じんきょ)、労咳(ろうがい)、産後の虚弱、大便の閉塞、老衰などからくるさまざまな症状に効果があるとのことです。
そのためかどうかは分かりませんが、家斉は将軍在職51年、側室40人、生まれた子供55人という記録を残しています。
とはいえ、一般には普及しておらず、江戸開港後に来日(安政3年:1856年)した米国領事のタウンゼント・ハリスが牛乳を手に入れようとしましたが、その値段が1升(1.8リットル)1両3分8文(約14万円)もしたというのですから、高価な薬といった感じだったのでしょうか。それが文久3年(1863年)には横浜で本格的な牛乳販売が始まり、他の乳製品も作られるようになりました。
高見澤