おはようございます。米国大統領選は、結果的にトランプ氏の勝利となりました。数々の発言の失態や女性問題で世間を賑わせたトランプ氏ですが、今後どのような方針を示すのか、注目されるところです。世界が益々混沌としてきて、本当に先に読めない時代になったわけですが、宇宙の大きな流れの中で、今のこの時空間がどう位置づけられるのか、興味のあるところです。
さて、今日は「水菓子」についてご紹介致しましょう。
そもそも「菓子」とはどういったものだったのかというと、食事以外に食べる嗜好品を指していました。古代では果物やその加工品が多く食べられていたため、果物の「果」に草冠をつけた「菓」と、木の実の種を意味する「子」を合わせて「菓子」という言葉ができました。つまり最初の菓子というのは、果物やナッツ類を指していたことが分かります。
それが、江戸時代に今でいうところの米や小麦粉を使った菓子の原型が出来上がり、次第に果物が菓子の仲間から外されるようになりました。そこで、普通の菓子とは区別する意味で果物が「水菓子」として扱われるようになりました。老舗の料理屋でコース料理の最後に「水菓子」としてフルーツが出されることがありますが、これは江戸時代からの名残であることが分かります。
ところが、現在この「水菓子」というと、「水羊羹」や「水饅頭」など夏に冷やして食べる菓子、あるいは「かき氷」や「アイスキャンディー」のような氷を利用したデザートをイメージすることが一般的かと思います。時代とともに、言葉の意味が大きく変化していくのも興味のあるところです。これは日本語と中国語の間でも、同じ漢字で意味が大きく異なってしまい、誤解が生じることがよくあります。「手紙」は中国語では「トイレットペーパー」の意味ですから、ご注意ください。
話を元に戻しますが、徳川家康は真桑瓜(マクワウリ)がことのほか大好物だったようで、この名前も家康が名づけ親になったと言われています。このため、以来江戸幕府はこの真桑瓜を大切に扱い、夏場の将軍の膳はもちろんのこと、行事ごとに大名や幕臣にも振る舞われる膳にも当たり前のように出されていたとのことです。これが、江戸後期に普及した料理茶屋でも同じように会席料理の最後に出されるようになりました。
真桑瓜は果物の中でも特に水分が多いため、当時の人たちは水代わり食べていたようです。もちろん江戸時代にも同じように水分豊富なスイカはありましたが、日本に入ってきたのは江戸時代初めで、しかも切り口が人間の首の傷口のように見えたので、あまり好まれてはいなかったようです。桃や梨、葡萄なども江戸時代には既にありましたが、生産量は少なく、また生産地も遠かったことから輸送ができず、江戸ではあまり普及しませんでした。ということで、水分が多いことから真桑瓜、すなわちメロンを代表とする果物が「水菓子」と呼ばれる所以となったそうです。
高見澤
懐石料理の伝統として、食事の最後にフルーツが出されるようになったのは江戸時代に始まったとのことです。