東藝術倶楽部瓦版 20161118 :冷やっこい、汲みたて、道明寺砂糖水!-夏の風物詩「冷や水売り」

 

おはようございます。今朝の東京も冷えていますが天気は晴れ、明日の未明からは雨になるという天気予報です。日一日と冬に向かっている感じです。

私はといえば、来週富山で大きな会議が予定されていて、明後日から出張です。来週は瓦版もお送りできないと思いますので、ご了承ください。

 

さて、本日は夏の食の風物詩についてご紹介したいと思います。夏の暑い盛りに外を歩いていると、どこかでグッと冷たい水を飲みたいと思いますよね。そんなときは、冷たいビールやお茶、生ジュースなどもよいですが、やはり何といっても「美味しい水」が最高だと思うのですが、如何でしょうか?

 

江戸の街では、隅田川の東岸の本所や深川など一部地域を除くと、掘り抜き井戸や水道水を溜めた上水井戸が各所に行き渡り、飲料水に困ることがなかったことは、以前上水道のお話をした際にもご紹介した通りです。また、人が集まる場所には茶店があり、お茶を飲むことができたことも、以前紹介した通りです。しかし、真夏の暑いときに熱いお茶や生ぬるい水よりは、やはり冷たい水が一番でしょう。

 

ちなみに、中国でも最近は冷たいミネラルウォータを飲むようになりましたが、従来、基本はお茶か白湯が一般的で、生水を飲む習慣はありませんでした。水質が硬質であることや衛生上の問題でやはり一旦沸かす必要があったのです。また、陰陽のバランスから身体を冷やすことを極端に嫌い、習慣的に冷たい水を飲むことを避けていたこともあるかと思います。今は、ミネラルウォータはもちろんそのまま飲みますが、やはり水道水は一旦沸かして飲むのが常識です。

 

では、冷蔵庫のなかった江戸時代では、果たして冷たい水を飲むことができたのでしょうか? それが実はあったのです。「冷や水売り」という商売がそれです。文化10年(1813年)に刊行された『浮世風呂』4編に、冷たい水を入れた荷台を担いで「氷水あがらんか、冷(ひやつこ)い。汲立(くみたて)あがらんか、冷(ひやつこ)い」という呼び掛け声で、水を売り歩いていた冷や水売りの姿が描写されています。また、井原西鶴の浮世草子『万(よろず)の文反古(ふみほうぐ)』〔元禄9年(1696年)〕にも、既に冷や水売りが商売として成り立っていたことが記載されています。

 

この冷たい水ですが、井戸から汲んだばかりか否かは別として、外気温度が高いために、水を入れた木桶の側面から水が蒸発するときに気化熱を奪い、中の水の温度が下がるという現象が生じます。その効果によって水が冷たく感じるというわけです。また、水を飲ませる茶碗も真鍮や錫といった金属製の容器を使っていたそうです。それだと、陶器に比べ熱伝導率がよいので、より冷たさが感じられたのでしょう。

 

さらにこの冷や水には、白玉団子と砂糖を少し入れていました。掛け声も「冷やっこい、汲みたて」に続いて「道明寺砂糖水」といっていたそうです。道明寺とは、桜餅のところでも紹介しましたが、糯米を蒸して乾燥させそれを砕いたもので、糒(ほしいい)や関西風桜餅に使われるものですが、ここでは糯米を水に浸してから粉にした白玉粉から作った団子のことです。甘い砂糖水につるりとした白玉団子の食感や喉越しが、夏の乾いた喉に心地よかったのではないかと思います。

 

さてその気になるお値段ですが、初めは銭1文(20円)だったのですが、インフレが進んだ1800年頃から幕末にかけては4文(80円)、砂糖の量を増やすと8文、12文といった値段になりました。また『守貞謾稿』によれば、幕末の大坂では、「冷や水売り」ではなく、「砂糖水屋」と呼ばれており、砂糖を入れた甘い冷や水が一杯6文で売られていたことが紹介されています。

 

もちろんこの「冷や水売り」とは別に、「水売り」という商売がありました。こちらは季節限定ではなく、地域限定のものです。神田上水から日本橋川に流れ出た水道水を水船に積んで、隅田川対岸の本所や深川に運び売るもので、当然砂糖や白玉団子は入っていません。江戸時代前期には本所上水(亀有上水)が設置されましたが、水質が悪くたびたび潮水が入り込むので、享保7年(1722年)に廃止になりました。それ以降、神田上水からの「水売り」に頼ることになるのですが、この地域は坂がなく、また水路がたくさん通っていたので、水の運搬にはそれほど苦労はなかったようです。ちなみに値段は水桶二ツ〔一駄(36貫:約135㎏)〕で4文という格安値段でした。

 

高見澤

2021年1月

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このページは、東藝術倶楽部広報が2016年11月18日 08:29に書いたブログ記事です。

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