東藝術倶楽部瓦版 20161114 :ウサギは鳥類 !? -雑煮の蛋白源

 

おはようございます。黒木代表からのお知らせにもありましたが、先週土曜日12日の勉強会は無事終了し、ご参加頂きました皆様には楽しんで頂けたものと、改めてお礼を述べさせて頂きます。報告書につきましては、今暫くお待ちください。来週、富山で数名の県知事クラスが出席する比較的大きな会議が控えている関係もあり、少し落ち着いてからまとめさせて頂ければと思います。

 

さて、本日からはお菓子を離れて、江戸の季節を感じさせる味覚についてご紹介していきたいと思います。今日のテーマは「雑煮」です。

文字通り雑煮というのは、様々な食材を煮混ぜたもので、元々は内臓をいたわるために食べた滋養食だったと言われています。ですから、必ずしも正月に食べる習慣はなかったのですが、これが正月の行事食となったのは室町時代で、江戸時代にはそれが全国的に広まったとのことです。

 

この雑煮ですが、地方や家庭によって、具はもちろんのこと汁の味付けや餅の形状も異なります。つまり定番の雑煮というものはないということになります。それぞれの家庭で作った料理を後から餅と合わせて汁に入れたものを雑煮と呼ぶようにしたのではないでしょうか。

 

江戸時代の雑煮について、『守貞謾稿』〔著者:喜田川守貞(北川庄兵衛)、天保8年(1837年)から約30年かけて執筆した類書(百科事典)、全35巻(前集30巻、後集5巻)〕によれば、「大坂の雑煮は味噌仕立てで、丸餅を焼いていれ、具には小芋、焼き豆腐、大根、干し鮑を入れる」とあり、江戸は「切り餅を焼き、小松菜を入れただけで、あとは鰹節から取った醤油味の汁のみ」と書いてあります。もちろん家庭によってかなり異なりますので、一概にこれが大坂と江戸の定番だったとは言えませんが、総じて江戸の雑煮はシンプルだったのかもしれません。

天保年間(18301844年)に書かれた江戸城の賄方記録(まかないかたきろく)によれば、三が日の雑煮は「餅、焼き豆腐、里芋、青菜、花鰹」とあるので、武家では比較的具沢山の雑煮だったのかも知れません。

 

また、雑煮に蛋白源を入れる場合もあります。西日本では塩鰤を、東日本では塩鮭を入れるところもあったようですが、江戸では正月恒例の雑煮として、何とウサギの肉を入れる場合もあったとのことです。特に江戸城では、正月三が日に登城した幕僚や大名に「御喰摘み(おくいつみ)」として、熨斗鮑(のしあわび)、搗栗(かちぐり)、昆布の三種と、ウサギの吸い物が将軍より下されました。獣肉を食べない将軍家でも、このウサギは特別だったようで、徳川家康が三河時代に献上されたウサギを家臣に振る舞ったことに因む伝統行事だったとのことです。ウサギの数え方が「一羽二羽」となっているのは、無理やりウサギ肉を鳥類の肉と見做したかったのではないかと思われます。

 

高見澤

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このページは、東藝術倶楽部広報が2016年11月14日 09:08に書いたブログ記事です。

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