東藝術倶楽部瓦版 201612106 :沖の暗いのに白帆が見ゆる、あれは紀ノ国みかん船

 

おはようございます。昨日から今日にかけて、ここ東京は暖かい日が続いています。今年もあと1カ月を切り、クリスマスや正月を迎えようという時期ですが、年末という雰囲気になるのももう暫くかかりそうです。

 

さて、冬の風物詩として、コタツで「ミカン(蜜柑)」というのもその一つに挙げられるかと思います。一般的に日本で栽培されているミカンは「温州ミカン」です。「温州」というのは、中国の浙江省にある地名で、今でもミカンの生産地として有名です。柑橘の原種は3000万年前のインド東北部のアッサム地方付近が発祥の地とされており、それが様々な種に分化しながら中国や東南アジア等へ広まったとされています。柑橘が日本に伝わったのも、どうやら中国からのようで、『日本書記』に「垂仁天皇の命を受け常世の国に遣わされた田道間守(たじまもり)が非時香菓(ときじくのかくのみ)の実と枝を持ち帰った」、「非時香菓とは今の橘である」との記述があります。この「橘」がどのような柑橘だったのかは定かではありませんが、ミカンの一種であったことは間違いありません。

 

日本でミカンとして最初に広まったのは、「温州ミカン」ではなく、「紀州ミカン」または「小ミカン」という直径5センチほどの小さなミカンです。北京駐在中もよく買って食べましたが、種がやたらと多く食べにくかったのですが、味は甘く美味しかったです。この紀州ミカンは中国浙江省から肥後国八代(熊本県八代市)に伝来し、「高田(こうだ)ミカン」として朝廷にも献上されていました。それが1516世紀に紀州有田(和歌山県有田郡)に移植され一大産業に発展したことから「紀州」の名が付けられました。

 

一方、「温州ミカン」ですが、実際の原産地は中国ではなくて日本の不知火海岸(熊本県)であるとの説が有力です。他にも鹿児島県長島という説もありますが、いずれにせよ中国から伝わった柑橘が突然変異で生まれたということで、その親はまだ分かってはいません。

 

元禄年間(16881704年)に活躍した豪商の紀伊国屋文左衛門が20代の頃、嵐が続いて紀州(和歌山県)から予定通りにミカンが運べななったときに、紀州では驚くほどミカンが大豊作だったことから余ったミカンを上方商人に買い叩かれ、ミカンの値段は大暴落しました。この時、文左衛門は借金をしてミカンを買いあさり、それを嵐の中無事に江戸に運んで大儲けしたというお話があります。当時江戸では、毎年旧暦の11月8日に鍛冶屋の神様を祝う「鞴(ふいご)祭り」が行われていました。「鞴」とは鍛冶屋や鋳物師が火を起こすときに使う道具で、職人たちが仕事場を清めた後に、鍛冶屋の屋根から表の道にミカンを撒くことが恒例行事だったのです。紀州からミカン船が来ないため、江戸ではミカンの価格が高騰し、紀州とは正反対の現象が起きていたのです。ここに目を付けたのが、文左衛門だったというのです。嵐の中ですから、船旅も命がけです。このときの様子が「沖の暗いのに白帆が見ゆる、あれは紀ノ国みかん船」とカッポレに歌われています。この時のミカンは紀州ミカンです。ただ、この話は文左衛門が生きていた時期の資料には見当たらず、幕末に刊行された小説『黄金水大尽盃(おうごんすいだいじんはい)』に書かれていたもので、史実ではなかったようです。

 

とはいえ、実際に紀州ミカンが江戸に運ばれていたことは間違いなく、初めて江戸に出荷されたのは寛永11年(1634年)で、それまで江戸に入ってきていたのは駿河(静岡県)や肥後八代のものでした。紀州ミカンはそれに比べて美味しいということで人気が出ました。その後、出荷量も増えて庶民の口にも入るようになりました。紀州藩では「紀州ミカン」のブランドを守るために、取扱い商人を許可制にしました。もちろん、紀伊国屋文左衛門はこの取扱い商人に登録されていませんので、やはり先の話は作り話であったことが分かります。

 

ところでこの紀州から運ばれたミカンですが、江戸に着いた後は大型のミカン船から小船に積み替えらえて江戸橋の南岸、四日市の広小路に荷揚げされていました。先日の江戸日本橋の勉強会で見学したところの一つです。ここは別名「蜜柑河岸」と呼ばれていました。

 

冬に不足しがちなビタミンC、先日の五井野正博士の講演の中でもありましたように、サプリメントではなく、ミカンなど果物からしっかりと取りたいものです。

 

高見澤

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このページは、東藝術倶楽部広報が2016年12月 6日 10:06に書いたブログ記事です。

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