おはようございます。師走も既に下旬に入り、今年も残すところあと10日となりました。4月に中国北京から帰任して8カ月が過ぎましたが、そんな時間の経過も実感できていません。改めて時間の流れというものの不可思議さを感じているところです。
さて、本日の瓦版のテーマは、先日に続いて「江戸の暦革命」です。しばらくこのテーマでお伝えしていきたいと思いますので、ご質問やコメントなどありましたら、遠慮なくご連絡ください。
本日は、先日の続きで「太陰暦」、「太陽暦」、「太陰太陽暦」についてご説明したいと思います。
先ずは「太陰暦」です。これは「陰暦」とも呼ばれ、月の満ち欠けの周期(月が地球を公転する平均周期)、いわゆる「朔望月(さくぼうげつ)」を基本単位として1年を組み立てる暦法です。月齢がカレンダーとなる最も簡便な暦です。1朔望月は約29.530589日で、1年を12カ月とすると1年は354.367068日という計算になるので、毎年季節と11日余りずれていきます。この暦法の典型例がイスラム暦(ビジュラ暦)で、1カ月が29日の小の月と30日の大の月を概ね繰り返して1年を354日としています。1年の推移が季節とずれていきますので、農耕には不向きな暦です。
次は「太陽暦」です。これは太陽に対する地球の公転周期に基づく暦法で、四季の循環と暦の1年を合致させた暦です。現在、世界共通で使われているグレゴリオ暦はこの太陽暦の一つです。地球の太陽に対する公転軌道は円軌道ではなく、太陽を焦点の一つとする楕円軌道であることから、1年の起点をどこに置くかによって1年の日数に若干のずれがあります。
例えば、地球が太陽に最も近づく近日点を基準とする近点年では365.2596日、春分点を通過した太陽が再び春分点に戻るまでの時間である太陽年(回帰年)では365.2422日、宇宙のかなたにある恒星を基準とした恒星年では365.2564日となります。グレゴリオ暦の1年は365.2425日で太陽年(回帰年)に基づいて計算されていることが分かります。ですから4年に1度、閏日が入れられるわけです。
この太陽暦が成立したのはエジプトです。エジプトでは、ナイル川の増水の頃に決まって太陽とおおいぬ座のシリウスが同日に昇るという現象が見られ、それが1年の起点になることが分かっていたからだと言われています。
そして最後が「太陰太陽暦」です。グレゴリオ暦が採用されるまで、中国では3000年以上、日本でも1000年以上も使われていた暦法です。この暦法は1年の長さにはあまりこだわらず、太陰暦を季節推移に合わせようとした暦であると言えます。季節の推移は農耕にとってとても重要なので、中国では「農暦(nongli)」とも呼ばれます。
この太陰太陽暦の基本は太陰暦ですから、新月の日は1日、満月の日は15日となるように調整されます。これを季節推移によって繰り返される1年は朔望月の整数倍にはなっていないので、閏月を挿入して年月日を無理やり合わせます。このため、この暦法は極めて複雑なものになっています。調整すべき条件は、中国と日本とでは異なりますので、中国の暦では日本に適合しないことも生じることが出てきます。だからこそ、江戸時代に日本独自の「大和暦」が生まれたのです。
これについては、また改めてご紹介していきましょう。
高見澤