東藝術倶楽部瓦版 20170110 :大連人も知らない大連古墳群

 

新年明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願い致します。

 

さて、年明け早々3日から中国東北地域に出張してきました。黒龍江省ハルビンで毎年開催される氷祭り(氷雪節)の開幕式が4日に行われ、それに合わせて挙行された寒冷地発展フォーラムに参加してきました。海外からは、日本のほか、デンマークやフィンランド、韓国など寒冷地のほか、マレーシアや南アフリカからも参加者がおり、国際色豊かな会議でした。日本からは私のほか、在瀋陽日本総領事館、新潟市北京事務所などからも代表が参加し、氷祭りの開幕式では石塚瀋陽総領事もご夫婦で駆けつけ参加となりました。気温はマイナス20℃でしたが、仕事もホテルや地方政府庁舎内がほとんどで、移動は車だったので、ほとんど寒いと感じることはありませんでした。

 

ハルビンでフォーラムに参加した後、吉林省長春に移り政府機関や大学等と会議、長春の気温もハルビンとほぼ同じくらいでマイナス20℃前後です。その後は遼寧省瀋陽に移動。瀋陽では政府機関との会議、石塚総領事との面談を行いました。瀋陽は比較的暖かくマイナス6℃ぐらいでした。瀋陽の後は大連で富山県大連事務所を訪問、ここは0℃前後で比較的暖かく感じました。帰国日前日は土曜日だったので、大連漢墓博物館を見学しました。

 

中国で漢の時代というと、BC206年からAD2年の前漢(西漢)、AD25年からAD220年までの後漢(東漢)の合わせて400年ほどの時代を指します。後漢の後が日本で有名な三国時代になるわけです。その前漢から後漢にかけての古墳遺跡がこの大連で多く見つかっているのです。一般的にはこの時代の遺跡の多くは河南省(鄭州、洛陽など)や陝西省(西安など)など中原地域に多くみられることは知られていますが、この極寒の地域にこうした遺跡が多く見つかっているとは思いもよりませんでした。実は大連に長く暮らしている中国人でもあまりこのことは知られていないようです。確かに来館者はほとんどいませんでした。ちなみに入場料は無料です。

 

大連でも郊外の営城子という辺りでたくさん古墳が見付かっていて、博物館はその古墳を展示する形で建てられています。近くには壁画が残っている古墳もありましたが、対外的には公開していないので、今回は残念ながら見ることはできませんでした。

 

墓の形体は、最初は貝殻を使って棺を作る「貝墓」、これは貝殻が湿気を吸って遺体を腐らせない作用があるそうです。その後は煉瓦を使った「磚墓」、そして石板を使った「石板墓」と変遷していきます。大連は海に近いので湿気が多く、貝殻も集めやすかったので貝墓が作られたのは分かります。磚墓や石板墓へと変遷していったのは、はやり中原の影響を受けてきたのかもしれません。

 

今回の出張は仕事もさることながら、歴史的にも興味をそそられる出張となりました。次回からはまた江戸の暦のお話しに戻りたいと思います。

 

高見澤

2021年1月

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このページは、東藝術倶楽部広報が2017年1月10日 13:42に書いたブログ記事です。

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