おはようございます。今日の東京は雪の予報となっていますが、私が出勤したときにはまだ降っていませんでした。寒い日が続きます。
さて、本日は「貞享暦」について補足しておきたいと思います。
前回ご紹介したように、全国各地で地方暦(私暦)が氾濫し使われるようになると、月の大小や閏月の置き方などに統一性がなくなります。このため徳川幕府は貞享暦の施行後に、暦を厳重な統制下に置き、頒暦は幕府天文方の許可を受けた一定数のものに限定されました。これ以降、初めて日本で統一された暦が使われるようになりました。
貞享暦への改暦が行われたきっかけは、823年間使われてきた宣明暦の誤りが指摘されるようになったからです。カレンダーとしての利用に不便はなかったのですが、日食や月食の予測がはずれるようになったのです。
そこで幕府は、暦法に通じていた幕府碁所の安井算哲(後の渋川春海)の上奏を受けて、1673年から1675年の日食・月食の予測を、宣明暦、授時暦(じゅじれき:金の大明暦を修正した13世紀の元の暦)、大統暦(たいとうれき:14世紀の明の暦法)の三つの暦法で比較してみることになりました。授時暦は西洋天文学が導入される以前の中国における最も優れた暦とされていました。安井をはじめとする改暦派が推挙していたのもこの授時暦でした。
ところが、1675年の日食の予測は宣明暦だけが的中し、授時暦と大統暦ははずれてしまいます。このため改暦は一時頓挫します。宣明暦の予測が当たったのはたまたまですが、授時暦と大統暦がはずれたのは、中国の暦法をそのまま日本に導入したからです。そこで安井は西洋天文学の成果を盛り込んだ中国の天文学書『天経惑問』を学ぶことで太陽の近日点の移動に気付き、中国(北京)と日本(京都)の里差(緯度差)などを考慮して暦を作成します。これが日本初の国暦である大和暦(貞享暦)です。北京と京都との里差は5刻(1日を100刻として、5÷100×24時間→1.2時間、経度差18度)とされており、今の東京と北京の時差が1時間ですから、正しい計算であるといえます。
· 定数:定朔、平気、破章法、歳差
- 1恒星年=365.256696日(周天=歳周+歳差1分50秒)
- 1太陽年=365.241696日(歳周、授時暦の値に消長法を適用したもの)
- 1朔望月= 29.530590日(月朔)
- 1近点月= 27.554600日(転終)
- 1交点月= 27.212220日(交終)
· 安井の作成した大和暦は貞享元年(1684年)に採用が認められ、貞享暦として翌貞享2年(1685年)から頒暦されることになりました。こうして、漢伝五暦(元嘉暦、儀鳳暦、大衍暦、五紀暦、宣明暦)の時代は終わりを告げ、国暦の時代が到来したのです。
高見澤