おはようございます。まだまだ寒い日が続きます。北京での寒さに比べればまだ大したことはありませんが、部屋の中が集中暖房で1日中暖かかった北京生活と比べると、朝起きるのがつらいと感じることが多いですね。
さて、今日は地方暦についてご紹介したいと思います。
奈良時代から平安時代(8~12世紀)にかけて、宮中では毎年11月1日に陰陽寮の暦の博士が作成した翌年の暦を中務省(なかつかさしょう)の役人が天皇に奏上する「御暦奏(ごりゃくのそう)」という儀式が行われていました(『延喜式』)。天皇、皇后、皇太子に献上する暦は「具注御暦(御暦)」と呼ばれました。これをもって、翌年の暦の配布が解禁になります。この御暦を陰陽寮の役人に書写した「頒暦」が有力公家に配られ(平安後期には頒暦が形骸化し、貴族が個人的に陰陽寮の役人に私的に依頼していたようです)、貴族の間で使われていました。
御暦、頒暦ともに内容は同じものですが、日の吉凶などを記した暦注は漢文で書かれており、庶民には読むことができません。そこで後に、頒暦を仮名書きしたものが現れ(鎌倉時代中期?)、当初は宮中の女官に使われましたが、これが庶民の間に広がり「仮名暦」と呼ばれました。こうなると書写では需要に追い付きませんので、木版印刷による「版暦」も出回るようになりました。この発行権をもっていたのが先にもご紹介した「大経師」です。
15~17世紀には朝廷の権勢も衰えてきます。各地の神社などでは「官暦」とは異なる独自の「私暦」が作られるようになります。いわゆる「地方暦」です。いくつか例を挙げますが、これ以外にもそれぞれ地方独特の暦があったものと思われます。とはいえ、基本はいずれも宣明暦など既存の暦が基礎となっている太陰太陽暦であることに違いはありません。
京暦(きょうごよみ):官暦の民間版として京都で使われた暦
南都暦・奈良暦(なんとごよみ・ならごよみ):奈良の陰陽師が発行した暦
丹生暦(にゅうごよみ):伊勢の賀茂家が発行した暦
伊勢暦:伊勢宇治及び山田の暦師が発行した折暦(おりごよみ)
地震なまずの暦:表紙に「地震なまず」の絵が描かれた綴暦(とじこよみ)
月頭暦(つきがしらごよみ):金沢で発行された半紙1枚摺りの略歴
薩摩暦:薩摩藩が刊行、薩摩・大隅・日向領内に頒布された綴暦
三島暦:伊豆賀茂郡三島の暦師河合家(三島神社)が発行した暦、関東で使用
江戸暦:江戸の暦問屋(江戸町民)によって刊行された暦
会津暦:諏訪神社神官が賦暦(無償配布)を、七日町住菊地庄左衛門が売暦を発行
秋田暦:幕末から明治2年(1869)まで秋田で刊行されていた小型の綴暦
仙台暦:延宝から正徳頃(1673~1716)にかけて発行された仙台独自の暦
盛岡暦:盛岡舞田屋が慶応4年(1868年)から明治2年(1869年)に制作した綴暦
弘前暦:弘前で江戸時代後期に発行された1枚摺りの略暦
大宮暦:現存するものがない幻の暦
泉州暦:和泉信太舞村の土御門家配下の陰陽師が制作した暦、「岸和田暦」とも呼ぶ
高見澤