2017年2月アーカイブ

 

おはようございます。まだまだ寒い日が続きます。

今週木曜日から北京出張です。2泊3日なので土曜日には戻ってきますが、また3月17日から21日まで北京出張の予定が入っています。年度末作業と来年度事業に向けた準備で大忙しです。

 

さて、本日からは「十干十二支(じっかんじゅうにし)」についてご紹介していきたいと思います。

昔の年月日は、主にこの十干十二支で表されることが一般的でした。「乙巳の変(いっしの変)」(645年)、「壬申の乱」(672年)、「戊辰戦争」(1868年)、「辛亥革命」(1911年)といった歴史的事件はご存知かと思いますが、( )内の西暦の年がその十干十二支に当るわけです。

 

この十干十二支は、「十干(じっかん)」と「十二支」の組み合わせによって表されます。十干とは「甲、乙、丙、丁(てい)、戊(ぼ)、己(き)、庚(こう)、辛(しん)、壬(じん)、癸(き)」、十二支とはご存知の通り「子、丑、寅、卯、辰、巳、午、未、申、酉、戌、亥」を指します。この十干と十二支をそれぞれ組み合わせると60種類になります。つまり、60年ごとに同じ十干十二支が巡ってくるので、この一回りのことを「還暦」と呼ぶのです。ですから、十干十二支のことを別名「六十干支(ろくじっかんし)」とも言います。ちなみに今年(2017年)は「丁酉(ひのととり/ていゆう)」の年に当ります。

 

一般的に十二支を「干支(えと)」と呼んでいますが、厳密に言えばこれは間違いです。「干支」をなぜ「えと」と呼ぶのかは日を改めてご説明しますが、十二支は12年ごとに回ってきますので、この十二支を聞くだけで年齢はほぼ特定できてしまいます。ですから、女性に十二支を聞くときは注意が必要ですね。

 

この十二支の習慣は、元々は古代中国にその起源があるといわれていますが、いつ頃から始まったのはよく分かりません。遅くとも商の時代の甲骨文字にはすでに十干十二支による年の記載がみられたとのことですから、その起源は3000年以上に遡ることができるものと思います。ちなみに、今の中国で使われている十二支は日本とほぼ同じですが、「亥」だけが「豚(猪は中国語では「豚」の意味)」になっています。

 

次回は「十干」について紹介したいと思います。

 

高見澤

 

おはようございます。今朝の東京は再び冬が到来したかのような風の冷たさを感じさせています。今、この瓦版でも暦の特集を続けているところですが、先週土曜日2月18日は旧暦1月22日に当たり正月中気「雨水」、そして次の次の日曜日3月5日は旧暦2月8日で2月節気「啓蟄」で、暦の上では既に春到来。しかし、現実はそううまくはいきません。まだまだ三寒四温の日が続きます。

 

さて、本日も暦注ということで、「暦の下段(暦注下段)」について紹介したいと思います。「下段」ということから、頒暦の下段に記された暦注です。これもまた科学的な根拠はなく迷信的な要素が強いとされていますが、昔の人にとっては生活する上での一つの指針になっていたようです。下段もまたさまざまなものがあるので、一つ一つを詳細に紹介していると時間がいくらあっても足りないので、主な解説だけにとどめます。その置き方などについては、今ではネットで紹介されたものを見れば分かりますので、今回は説明を省きます。

 

①天赦日(てんしゃにち)

1年で最高の大吉日。他の選日で凶日であっても一切関係なく、何の障害も起こらない日とされる。特に婚姻には最良の日。「よろずよし」とも記され、1年に4日しかない。

 

②受死日(じゅしび)

暦には●印で表示されるので、俗に「黒日(くろび)」とも呼ばれる。何事にも用いられない最悪日とされているが、葬式だけは差支えなしとされる。

 

③十四日(じゅうしび)

「十死一生日」、「天殺日」とも呼ばれ、「受死日」につぐ大悪日。受死日とおなじで何事にも忌むべき日で、葬式も凶とされる。

 

④帰忌日(きこび、きこにち、きこじつ)

天棓星(てんぼうせい)〔りゅう座のβ,γ,ζ,ν星〕の精である「帰忌」が天から降りてきて、家人の帰宅を妨害する日とされる。移転、旅行、帰宅、カネの貸し借りに凶。

 

⑤重日(じゅうび、じゅうにち)

陽の気が重なる「巳の日」と陰の気が重なる「亥の日」は、行ったことが重なるとされ、吉事には吉、凶事には凶となる。但し、婚姻は再婚につながるので凶。

 

⑥復日(ふくび、ふくにち)

重日とほとんど同じで、吉事には吉、凶事には凶。同様に婚姻は凶。善行は大吉。

 

⑦血忌日(ちいみび、ちいみにち)

梗河星(こうかせい)〔うしかい坐のρ,σ,ε星〕の精を「殺忌」、「日忌」、「血忌」と呼び、殺伐の気を司るとして、血を見ること大凶。鍼灸、狩猟、漁撈、刑罰の執行、嫁入りに凶。

 

⑧天火日(てんかび、てんかにち)

五行説では火性を「天火」、「地火」、「人火」の三才に分ける。このうち、天火は天の気が甚だしいとされ、棟上げや屋根ふきをすると必ず火災の難に遭うという。家の修造、移転も凶。

 

⑨地火日(ちかび、ちかにち)

火性の三才のうちの一つで、「天火日」と同じく厄日となる。大地の火気が激しく、土に関することは大凶。建築、種まき、建墓、井戸掘り、定礎、柱立てなどを忌む日。

 

⑩大過日(たいかにち)

「狼藉日(ろうしゃくにち)」、「滅門日(めつもんにち)」とともに「三箇(さんが)の悪日」のうちの一つ。「三箇」とは、貧窮、飢渇、障碍の三神と貧欲、瞋恚(しんい)、愚痴の三毒を表し、特に仏教では忌むとされる。三箇の悪日に共通するのは葬儀、仏事に凶。中でも大過日は最も大凶日で、改築、改修は忌む日。

 

⑪狼藉日(ろうじゃくにち)

三箇の悪日の一つ。万事に凶で、何事を行っても災難に遭い失敗するとされる。

 

⑫滅門日(めつもんにち)

三箇の悪日の一つ。万事に凶。何事かを行うと、一家一門を滅ぼすとされる。

 

⑬凶会日(くえにち、くえび)

陰と陽の気の調和がとれず、凶意が集まる凶日で、この日に吉事を行うと凶に転ずるとされる。

 

⑭往亡日(おうもうにち)

「往きて亡ぶ日」で、軍を進めることを忌む日。遠出、移転、婚姻、寺社仏閣への参詣などに凶。

 

⑮時下食(ときげじき、げじきどき)

日の吉凶ではなく、ある日の特定の時刻(一刻)だけが凶になる暦注。天狗星(てんこうせい)〔流れ星の一種〕の精が地上に降りて人間を喰らう時刻が「時下食」の時刻であるとして、この時間に食事をすると、その栄養を天狗星の精が吸い取り、人間に災いをもたらすというもの。食事のほか、種まき、開俵、沐浴、植樹に凶。

 

⑯歳下食(さいげじき)

「時下食」と同様に、天狗星の精が人を喰らいに地上に降りて来るが、こちらは時刻ではなく日を指す。軽い凶日とされ、他の吉日と重なれば忌む必要はないが、凶日と重なるとより重くなる。特に大食、大飲は忌むべきで、他は時下食と同じ。

 

⑰大明日(だいみょうにち)

天地に普く活気がみなぎり、隅々まで太陽の光が明るく照らすことから、すべての吉事や善事に大吉。特に婚姻、旅行、移転、建築に良し。

 

⑱天恩日(てんおんにち、てんおんび)

天が万物を憐れんで下界に恩恵を下し、万民に福を与える日。吉事には福を招くが凶事に用いてはならない日。特に婚姻、種まき、屋根ふきに吉。

 

⑲月徳日(つきとくにち、がっとくにち)

その月の福分を司る吉日。万事に障りのない日とされ、特に家の新築・改増築、動土などに吉。

 

⑳母倉日(ぼそうにち)

母が子を思うように、天が万物を憐れむ日。万物育成の気があり、特に普請、開業、婚姻に吉。

 

21.神吉日(かみよしにち、かみよしび)

神事に関することはすべて吉。祭祀、宮参り、地鎮祭、上棟祭りなどに良し。但し、不浄の事は忌む日。

 

以上、21項目の暦の下段について簡単に解説しましたが、このほかにもいろいろとありますので、調べてみると面白いと思います。日めくりのカレンダーを見るのが、一つの楽しみになるかもしれません。

 

高見澤
 

おはようございます。

最近のニュースといえば、金正男暗殺事件、米国トランプ旋風、東芝経営危機、稲田防衛相叩きなどお決まりの話題ばかりで、如何に日本国民がバカにされているかをうかがい知ることができるのではないでしょうか。日本人としての誇りを、国民一人一人がもつべき時ではないかと思うのですが、無理でしょうね...

 

さて、本日は前回に続いて「選日」後篇といきたいと思います。

 

5.一粒万倍日(いちりゅうまんばいび)

一粒の種も蒔いて育てれば、実る稲穂のように万倍にもなって返ってくるという稲を例えたものです。何事にも良い事の初めに用いられ、特に開店や開業など、金銭を出すのによい日とされています。また、吉日と重なると効果は倍増、凶日と重なってもその凶によって善意が半減される程度ですむとも言われているようです。ただ、「すべてに吉だが、借りるのは凶」とされているように、一粒万倍は事の良否にかかわらず、増えて多くの数になる意味なので、その点は注意する必要があるのかもしれません。一粒万倍日の節切りは以下の通りです。

1月:午の日、丑の日

2月:寅の日、酉の日

3月:卯の日、子の日

4月:辰の日、卯の日

5月:午の日、巳の日

6月:午の日、酉の日

7月:未の日、子の日

8月:申の日、卯の日

9月:午の日、酉の日

10月:戌の日、酉の日

11月:子の日、亥の日

12月:子の日、卯の日

一粒万倍日は、宣明暦時代には暦注に記載されていたようですが、地方暦によっては記載されていないものもあり、また貞享暦以降は暦注から外されていました。

 

6.天一天上(てんいちてんじょう)

天一とは「天一神(中神、天乙、貴人)」という方位神で、十二神将(これについても日を改めて紹介)の主将です。天一神は天と地の間を往復し、地上にいる間(天一神遊行:てんいちじんゆぎょう、44日間)は常に八方位(東西南北とその四隅)を巡り、悪い方角を塞いで守っているので、これを犯すこと〔「塞(ふたがり)」〕を忌みされていました。これを「物忌み」といいます。どうしてもその方向に行かなければならない場合は、いったん別の方角に進み、それから目的地に行くという「方違え(かたたがえ)」が平安時代に流行りました。

この天一神が天上に帰っている「間日」の16日間、即ち「癸巳」から「戊申」の日までを「天一天上」といい、天一神の障りがないとされています。中でも最初の「癸巳」の日は「天一太郎」と呼んで、結婚には最高の吉日とされています。

【天一神が巡る期間と方位】

初日:己酉(つちのととり) 6日間 北東(艮)

初日:乙卯(きのとう) 5日間 東(卯)

初日:庚申(かのえさる) 6日間 南東(巽)

初日:丙寅(ひのえとら) 5日間 南(午)

初日:辛未(かのとひつじ) 6日間 南西(坤)

初日:丁丑(ひのとうし) 5日間 西(酉)

初日:壬午(みずのえうま) 6日間 北西(乾)

初日:戊子(つちのえね) 5日間 北(子)

初日:癸巳(みずのとみ) 16日間 天上

 

7.三伏日(さんぷくび)

陰陽五行説に基づく選日で、「初伏(しょぷく)」、「中伏(ちゅうぷく)」、「末伏(まっぷく)の3日を「三伏日」として凶日としています。種まき、旅立ち、結構、移転、事業開始に凶としています。一般的には、夏至以降、第3番目の「庚(かのえ)」の日を初伏、第4番目の庚の日を中伏、立秋後の初めの庚の日を末伏としています(諸説あり)。これもまた「十干」を理解していないとよく分からないと思いますが、「庚」は「金の兄(かのえ)」で、「金」の気に当り、夏は「火」の気が最も盛んな時であり、「五行相剋」から言えば「火剋金(金気は火気に負ける)」に当ることから、「庚」の日が凶日とされたわけです。その中でも三伏が大凶とされています。事項の挨拶で「三伏の候」というのは、この酷暑の時期を指しているわけです。

 

8.犯土(つち)

この「犯土」というのは十干十二支で「土」と「土」の気が重なる日を指します。「庚午(かのえうま)」の日から7日間を「大犯土(おおつち)」、「戊寅(つちのえとら)」の日から7日間を「小犯土(こつち)」と呼び、穴掘り、井戸掘り、種まき、土木工事など土を犯す行為は慎むべきとされています。

 

9.臘日(ろうじつ)

この「臘日」は、もともと狩猟の獲物を祖先に捧げるという中国の習慣からきたものです。「臘」とは、つなぎ合わせるという意味があり、旧年と新年の間にある旧暦12月を「臘月」と呼んでいました(中国では今でも使われています)。

冬は「水」の気で、五行相剋からいえば「土剋水(水気は土気に負ける)」であることから、「辰」の日を臘日としたとも解されています。神事や嫁取りに凶日とされています。

臘日のとり方は以下の通りです。

小寒後の2度目の辰の日(暦注計算での臘日)

大寒に最も近い辰の日

冬至後の3度目の辰の日

大寒後の最初の戌の日

 

以上、選日にはいろいろなものがあります。暦の下段(次回解説)も含め主な暦注に属さないものをすべげ選日としていますので、その数も多くなるわけです。地方暦などもあり、調べてみると他にも面白い暦注が見つかるかもしれませんね。

 

高見澤

 

おはようございます。昨日の暖かさから一転し、今朝の東京は冷え込んでいます。今週もまた日によって寒暖の差が大きいとのことなので、体調の管理には十分注意してください。

 

さて、本日もまた暦注についてです。本日は「選日(せんじつ)」についてご紹介したいと思います。

選日とは、吉凶に関わる暦の上の特殊な日とでも言えるでしょうか。その多くは十干十二支によって、その日の吉凶判断を行うもので、そのうちのいくつかは、名前程度なら耳にしたことがあるかと思います。

 

1.三隣亡(さんりんぼう)

江戸時代には「三輪宝」と書かれて、建築には大吉とされていたようですが、いつの頃かは分かりませんが、逆に今では凶日とされています。この日に建築、特に普請棟上げ、柱立て、土起こし、移転などを行うと、火災を起こして向こう三軒両隣(三隣)まで及ぶ(亡ぶ)とまで言われます。この三隣亡の慣習は江戸時代から始まったようですが、その起源はよく分かっていません。日取りは十二節気を元にした節切りによる節月と特定の日の十二支の組み合わせから求めることができます。

1月・4月・7月・10月:亥の日

2月・5月・8月・11月:寅の日

3月・6月・9月・12月:午の日

 

2.不成就日(ふじょうじゅうび)

別名「不浄日」とも呼ばれ、何事を始めるにも不適で、一切の事が成立しない日とされています。この不成就日は、宣明暦時代に会津暦に記載されていただけで、貞享暦にも記載が見られません。ただ、幕府の許可なく頒暦された民間の暦にはこの時代から記載されていたようです。日取りは旧暦の月切りで、以下の通りです。

1月・7月:3、111927

2月・8月:2、101826

3月・9月:1、9、1725

4月・10月:4、122028

5月・11月:5、132129

6月・12月:6、142230

 

3.八専(はっせん)

八専とは、「十干十二支(六十干支)」で、「壬子」の日から「癸亥」までの十二日間のうち、天干と地支が同じ五行の気に属する日(専一の気)が八日あることから、そう呼ばれるものです。十二日間のうち、気が異なる「癸丑」、「丙辰」、「戌午」、「壬戌」の4日を「間日(まび)」と言います(八専八日に間日四日)。と言っても、「十干十二支」を知らないと理解できないかと思いますので、これについてはまた日を改めて解説したいと思います。

第1日:壬子 水水 炎魔天歓喜会

第2日:癸丑 水土 (間日)

第3日:甲寅 木木 地天歓喜会

第4日:乙卯 木木 水天般若会

第5日:丙辰 火土 (間日)

第6日:丁巳 火火 火天諸天会

第7日:戊午 土火 (間日)

第8日:己未 土土 羅刹天下動会

第9日:庚申 金金 風天歓喜仁王会

10日:辛酉 金金 吉祥天豊楽会

11日:壬戌 水土 (間日)

12日:癸亥 水水 多聞天成仏会

この八専は1年に6回めぐってくることになります。この間は降雨が多く、天気予報や農作の吉凶に用いられ、八専第2日目を「八専次郎」と呼び、この日に雨が降れば霧雨になると言われ、農家の厄日の一つとされています。

また、「照り入り八専、降り八専」、「降り入り八専、照り八専」という諺がありますが、初日(八専太郎)が晴れならば、その八専中は雨が多し、入り日が雨であれば、その八専中は晴れが多いとされ、そこから家の修道、旅立ち、婚礼などの日取りを決めたとのことです。

古代中国の「淮南子」では「専を以てえとに従えばすなわち功あり」とされ、すべてのことに吉とされていましたが、後に八専の日は、五行の同性同気は似た者同志が重なって偏ることから、吉はより吉(大吉)となり凶はより凶(大凶)となり、間日には何をしても構わないという見方に変わりました。しかし、何時の頃からかは分かりませんが、凶意だけが強調されるようになり、仏事、供養(法事)、造作、嫁とりなどに悪く、また何事も思うように進まない凶日となってしまいました。

 

4.十方暮れ(じゅっほうくれ)

十干十二支(六十干支)の相剋が続く日の多い期間をいい、「何事もなすにもよくない日」の凶日とされています。「八専」が同性同気であるのに対し、相剋、逆相剋の関係にあるとして、その凶意は甚だ強いとされます。「甲申(甲子から数えて21番目)」の日から「突巳(甲子から数えて30番目)」の日までの十日間を言い、この期間は天地の気が相剋して和合せず、暗雲立ちこめてはいるが雨の降らない「空一面曇天」という、十方の気が塞がって通じない厄日であるとしています。事を起こしても失敗や損失を招くので、極力静かに過ごすべしといい、婚姻・旅行も慎むほうがよいとしています。

第1日:甲申 木金 金剋木

第2日:乙酉 木金 金剋木

第3日:丙戌 火土 火生土(相生) 間日

第4日:丁亥 火水 水剋火

第5日:戊子 土水 土剋水

第6日:乙丑 土土 (比和) 間日

第7日:庚寅 金木 金剋木

第8日:辛卯 金木 金剋木

第9日:壬辰 水土 土剋水

10日:癸巳 水火 水剋火

 

後篇に続く

 

高見澤

 

おはようございます。今朝の東京は晴れ、週末は少し冷え込みましたが、今朝は比較的暖かく感じます。これから春に向けて花粉が飛ぶ季節になります。昔は花粉症などという症状はなかったと思いますが、放射能や化学物質によって抵抗力が激減し、従来にはない病気が増えているようにも思えてなりません。できるだけ自然の物を撮るようにしたいものです。

 

さて、今日もまた暦注のご紹介をしたいと思います。本日のテーマは「十二直(じゅうにちょく)」です。

十二直は、現代人にはあまり馴染みがないと思いますが、実は飛鳥時代から昭和の初め頃までは、六曜や九星よりもこの十二直で日々の吉凶を占うのが一般的でした。頒暦では暦の中段に記されるため、「中段」とも称されます。

 

北極星を中心に一回りする北斗七星は、古代人にも神秘な存在としてみられていたのかもしれません。この十二直は方位(子→北、丑寅→北東、卯→東、辰巳→南東、午→南、未申→南西、酉→西、戌亥→北西)と北斗七星の回転を結び付けたものです。

 

十二直には以下のものがあります。

建(たつ):中吉。物事始めは良き日、土を動かすは凶

除(のぞく):小吉。種まき・掃除・治療に良き日、婚礼・旅行は凶

満(みつ):大吉。万物満ち溢れる日なれど何事も控えめに、移転・旅行・婚礼に吉

平(たいら):大吉。万物公平に分け与える日、すべてに吉、特に婚礼は大吉

定(さだん):小吉。物事定まる日、種まき・移転・婚礼・売買に吉、訴訟・旅行に凶

執(とる):小吉。万物裁決の日、婚礼・種まき・造作に吉、旅行・財産整理に凶

破(やぶる):大凶。戦えば必ず傷つく日、契約・交渉・相談に凶、特に婚礼は大凶

危(あやぶ):大凶。危険伴う大凶の日、開店・開業は厳禁、祝い事・祭礼に吉

成(なる):小吉。物事成功の日、婚礼・開店・種まき・普請に吉、特に結納は大吉

収(おさん):小吉。万物取収める日、穀物取入・買物・新築に吉、婚礼・見合いに凶

開(ひらく):小吉。開運の日、入学・開業・造作・婚礼・出張に吉、葬式に凶

閉(とず):凶。万事に悪い日、但し墓造り・池の埋立は吉

この順番を覚えるために「十二直、このかしら字を覚ゆべし、たのみたさとやあなおひと」という歌もあったそうです。

 

十二直の始まりは「建」です。旧暦11月の冬至の頃に北斗七星の柄杓の柄の部分が真北、即ち「子の方角」に向くため、この日を「建子」の月とします。そこで十二節気の節月を組み合わせ、旧暦11月節、即ち「大雪」の後の最初の「子の日」を「建」と定めるのです。「建」は、12月節「小寒」の後の最初の「丑の日」、1月節「立春」の後の最初の「寅の日」というように配置します。そうすると、節月の始まりの日に前日の十二直を繰り返します。これによって、1年経つと順々にずれた十二支が元の組み合わせに戻ることになります。単純に十二直を繰り返すのではなく、節気ごとに少しずつずれていくところに神秘性があったのかもしれません。

 

高見澤

 

おはようございます。いや~マイリマシタ!昨日作成した瓦版が、どういう訳かhotmailの異常で送信時にすべて消えてしまい、幻の瓦版となってしまいました。このシステムの不具合にも困ったものです。その幻の瓦版を復活させる気力も時間もないので、追々瓦版をお届けする際に、情報を入れ込むようにしたいと思います。

 

そこで本日お届けする話題は、暦注として記載される「八将神(はっしょうじん)」についてです。この八将神というのは、「方位神」の一つ(正確には8神)として数えられます。方位神は九星術に基づいてそれぞれの方角に配置される神のことを指し、毎年十干や十二支などに従って移動する神もあれば、方角に固定されている神もいます。移動する神では、「恵方巻き」の語源となっている「歳徳神(恵方)」など、固定されている神では「鬼門」などの神がいます。

方位神には、その神が配置される方角が吉とされる「吉神」と、逆に凶とされる「凶神」がいます。歳徳神は吉神、鬼門は凶神に属します。

 

さて、それでは「八将神」とはいったいどのような神なのでしょうか?

九星術ですから、当然陰陽道とも深く関係してきます。民間伝承では牛頭天王の「八王子」ともいわれます。東京の八王子市の語源はここからきています。吉神か凶神かと問われれば、その両方の要素を有していますが、全体としては凶神の要素が強いように思われます。また、八将神といわれるくらいですから、当然8人の神様がいます。

 

太歳神(たいさいしん):太陰神の夫とされ、本地仏は薬師如来。十二支の方位に居し、木曜星(歳星)の神格を有する。移転・普請は吉、訴訟・伐木は凶。

 

大将軍(たいしょうぐん):魔王天王と呼ばれる大鬼神で、本地仏は他化自在天。3年同じ方位に留まり、金曜星(太白)の神格を有する。万事に大凶。

 

太陰神(たいおんしん):太歳神の后で、本地仏は聖観音菩薩。十二天将の1柱でもあり、土曜星(塡星)の神格を有する。縁談・出産は凶。

 

歳刑神(さいぎょうしん):本地仏は堅牢地神。殺罰や刑殺を司り、水曜星(辰星)の神格を有する。耕作・移転は凶。

 

歳破神(さいはしん):太歳神と反対の方位に在位し、本地仏は河伯大水神。土曜星(塡星)の神格を有する。移転・旅行は凶。

 

歳殺神(さいさつしん):大将軍と関係があるとされ、本地仏は大威徳明王。殺気を司りすべてを滅ぼすとされ、金曜星または火曜星(熒惑星)の神格を有する。縁談、移転、訴訟は凶、仏事は吉。

 

黄幡神(おうばんしん):兵乱の神で、九曜の一つである羅睺(らごう:ラーフ)を奉った神。村の守り神として信仰される一方、災害をもたらす神として恐れられた。移転・普請は凶。

 

豹尾神(ひょうびしん):天宮神(女神)を伴い、本地仏は三宝荒神。豹のように猛々しく、計都星の神格を有する。不浄を嫌い、家畜を求めること、大小便に凶。

 

以上、八将神をそれぞれ紹介しましたが、暦注においてこの八将神は、歳徳神や金神(こんじん)と並んで非常に重要な意味を持っています。基準となるのが太歳神で、常にその年の十二支の方角に位置し、それに対応した形で他の七神が配置されます。

八将神を含む方位神ですが、古来暦の暦注に記されてきました。金神などは平安時代末期から流行しはじめましたが、暦には記されていなかったようで、記されるようになったのは江戸時代の貞享暦からだったとのことです。

 

これもまた「当たるも八卦、当たらぬも八卦」といったところでしょうか。

 

高見澤

 

おはようございます。少しずつ寒さが緩いできている感がある今日この頃です。今週金曜日はかなり暖かくなるとの予報ですが、それを過ぎるとまた寒さか到来とか。三寒四温、春が待ち遠しい季節になりました。

 

さて、本日も暦注についてご紹介したいと思います。テーマは「九星」です。九星には、以下のものがあることはご承知かと思います。

一白水星(いっぱくすいせい)

二黒土星(じこくどせい)

三碧木星(さんぺきもくせい)

四緑木星(しろくもくせい)

五黄土星(ごおうどせい)

六白金星(ろっぱくきんせい)

七赤金星(しちせききんせい)

八白土星(はっぱくどせい)

九紫火星(きゅうしかせい)

 

この九星の起源は古代中国、夏王朝の創始者である「禹」が洛水(河南省洛陽市内を流られる洛河のこと)を通りかかったときに、河の中から飛び出した神亀の甲羅に描かれてあった模様から「魔法陣」を思いつきました。この魔法陣を「洛書(河図洛書)」といいます。魔法陣はご存知かと思いますが、1から9までの数字を横3×縦3の枠の中に、5を中心として縦横斜めいずれの3つの数字を足しあげても同じ数(15)になるように数字を配置した図です。これが基となり、その年の星を中央に置き、残りの8つの星を周囲に配置したものを「九星図」といいます。

 

この九星図に十干十二支を組み合わせると180年周期の干支九星ができあがります。生まれた年の星とその年から、さまざまな吉凶を解釈するのが「九星術」といわれるものです。

 

古代中国の五行説では、天地間を運行する5つの要素、木、火、土、金、水があり、それが順送りに相手を生み出していく「相生」(陽の関係)と、相手を打ち滅ぼしていく「相剋(相克)」があります。この五行に惑星と方角、色を組み合わせて九星が考えられたと言われています。

 

この九星と暦との関係ですが、「年の九星」、「月の九星」、「日の九星」と年月日それぞれに九星が配置されています。配置の仕方にはそれぞれ法則があります。ここでは時間の関係もあり、いちいち説明はしませんが、これもまた象徴的な運勢を知らせるものの一つとして考えてもよいかもしれません。江戸時代の暦注にもこの九星が記されていました。生まれた年月日の九星と十干十二支に五行を組み合わせた占術「九星・気学」が考えられたのは江戸時代(元禄頃)とも言われています。

 

予言も占いも皮肉なもので、信じれば当らない、信じなければ当たる、という法則があるように思えますが...

 

高見澤

 

おはようございます。今週から来週にかけて仕事が多忙を極め、急に瓦版がお送りできなくなることもありますので、ご了承頂ければと思います。

 

本日から暫くは、暦に記載される日時や方位等の吉凶、その日の運勢などを示す「暦注(れきちゅう)」についてご紹介していきたいと思います。暦注の大半は陰陽五行説や十干十二支(干支)に基づいたもので、以前に説明した十二節気や七十候などは別にして、現代社会では科学的根拠はない迷信の類とされています。

 

そこで今回は先ず「六曜(ろくよう/りくよう)」についてお話ししたいと思います。皆さんご存知の通り、六曜には「先勝(せんしょう/せんかち)」、「友引(ともびき)」、「先負(せんぷ/せんまけ」、「仏滅(ぶつめつ)」、「大安(たいあん)」、「赤口(しゃっこう/しゃっく)」の六つの曜があります。この六曜ですが、「六輝(ろっき)」や「宿曜(すくよう)」といった言い方もありますが、これは明治時代に「七曜(しちよう)」との混同を避けるために作られた名称だそうです。

 

この六曜は中国で発案されたと言われています。三国時代の諸葛亮孔明や唐の李淳風が考案したとも言われますが、実際のところは正直なところ一切分かっていません。これが日本に伝来したのは鎌倉時代末期から室町時代にかけてとされています。六曜のそれぞれの名称や解釈・順番も少しずつ変わり、19世紀初頭の江戸時代の文化年間に現在の形になったようです。伝来以来名称が変わっていないのは赤口だけだそうです。

 

六曜の配置の仕方は、旧暦各月の1日を次のように固定し、2日以降は六曜を先勝→友引→先負→仏滅→大安→赤口の順番で置いていきます。

1月及び7月:先勝

2月及び8月:友引

3月及び9月:先負

4月及び10月:仏滅

5月及び11月:大安

6月及び12月:赤口

かつての名称は諸説ありますが、有力なのは「即吉」→「共引」→「周吉」→「虚亡」→「泰安」→「赤口」の順で繰り返されていたとされている説です。

 

先勝:午前中は吉、午後2時より6時までは凶

友引:朝は吉、昼は凶、夕は大吉。ただし葬式を忌む

先負:午前中は凶、午後は吉

仏滅:何事も遠慮する日、病めば長引く、仏事はよろしい

大安:何事においても吉、成功しないことなし

赤口:万事に用いない悪日、ただし法事、正午だけはよし

 

さて皆さん、信じる信じないかは別として、これを科学的でないとする根拠はどこにありますか?

 

高見澤

 

おはようございます。立春も過ぎ、暦の上では春ですが、まだまだ寒い日が続きます。それでも少しずつですが、春を感じさせる陽気になってきました。

 

さて、本日は「花暦(はなごよみ)」についてご紹介したいと思います。「花暦」とは、その季節に合った花を月の順番に配列し、季節感や自然との係りを楽しむ暦のことです。

 

中国唐代の詩人、劉希夷(651679年)の有名な詩「代悲白頭翁(白頭を悲しむ翁に代る)」に、「年年歳歳花相似、歳歳年年人不同(ねんねんさいさいはなあいにたり、さいさいねんねんひとおなじからず)」という一節があります。人の世は変わりやすいのに、自然は変わらないという意味の詩です。「年」という字はもともと穀物が実るという意味の「稔」を表し、「歳」は1年ごとに行われた「祭」を表すとも言われています。

古代中国の商王朝では「五祀周祭(ごししゅうさい)」と呼ばれる祭祀があり、この祭祀が1周する3536旬はほぼ1年にあたるので、1祀を1年としていたようです。これが周王朝になると収穫をもって年を数えていました。

 

こうした1年を数える周年祭や収穫祭とは別に、1年の推移を知ることができるのは気候です。そして気候に応じて咲くのが四季の花々です。中国では古くから植物の生長と農事との関係が暦として作成されていました。「月令(がつりょう)」と呼ばれる自然暦は、年間の儀式と農事を記録したものです。これが清朝の頃に月ごとに咲く特徴的な花を記した「花暦」が編纂され、江戸時代の日本にも伝来し、発展しています。装飾芸術(浮世絵、陶器の模様、服装デザインなど)や俳句の季語、花札遊びなど庶民の暮らしにも浸透していきました。江戸時代の花暦は花札としてもおなじみのものです。

花札は18世紀後半、賭博系かるた(カブ札など)が禁止されたため、その抜け道として考案されたものといわれていますが、四季の植物に花鳥風月を配した日本独特の風雅なかるたであるといえましょう。

 

  月     江戸時代  現代    中国   イギリス

1月  マツ    ウメ    ウメ   スノードロップ

2月  ウメ    ツバキ   モモ   サクラソウ

3月  サクラ   モモ    ボタン  スミレ

4月  フジ    サクラ   サクラ  デージー

5月  アヤメ   フジ    モクレン サンザシ

6月  ボタン   アジサイ  ザクロ  スイカズラ

7月  ハギ    クチナシ  スイレン スイレン

8月  ススキ   サルスベリ ナシ   ケシ

9月  キク    ハギ    アオイ  アサガオ

10月  モミジ   モクセイ  キク   ホップ

11月  ヤナギ   サザンカ  クチナシ キク

12月  キリ    ビワ    ケシ   セイヨウヒイラギ

 

高見澤

 

おはようございます。最近新聞をみると米国トランプ新大統領に関する記事で埋め尽くされています。矢継ぎ早に出される大統領令について批判的な見方が大半を占め、なぜ今米国民がそのような選択をしたかを真剣に問おうとはしていません。ブレグジット然り、イタリアの憲法改正論議然りで、現実無視の勝手な思い込みによる批判は決して正しい結論を生み出しません。これが今の日本を現しているのかもしれません。

 

さて、本日は「不定時法」による時間の決め方についてご紹介しておきたいと思います。1年のうちで昼間の時間の最も長い日が夏至、その逆に夜間の時間の最も長い日が冬至であることは誰もがご存知のことです。1日24時間を均等に24分割して時間を表す方法が「定時法」で、今の時間表示はこの定時法に基づいています。時差はあるものの全世界共通なので昼夜の長さを問わず、グローバル化時代に対応した方式です。

 

一方、江戸時代の人々の1日の活動は日の出とともに始まり、日の入りとともに終わります。電気のない時代ですから、活動しようにも活動する術がなかったのです。ですから、合戦時や吉原のような特殊な世界を除けば、現代のように長時間残業による過労死などということは、一般には存在しえなかったのです。

 

このような1日の活動からすると、定時法では何かと不都合が起きます。「1日の計は朝(あした)にあり」と言われますが、「1日の計は寅(とら)にあり」とも言います。この「寅」というのは「寅の刻」、すなわち「暁七つ」の時間です。「お江戸日本橋七つだち...」という歌にもありますが、およそ午前3時から4時頃を指します。暁七つに日本橋をたつとなると、夏至の頃はともかく、冬至の頃は夜明けが午前6時過ぎになってしまうので、街灯もない時代、仕事どころか歩くこともままなりません。

 

そこで採用されていたのが、日の出を「明六つ」、日の入りを「暮六つ」として定め、昼夜をそれぞれ六等分して時刻を定める「不定時法」だったのです。ですから、夏は昼間の一時が夜間の一時よりも長く、冬はその逆になります。これが江戸時代の生活上の時刻制度です。ということは、夏の「七つだち」も冬の「七つだち」も日の出までの時間はさほど変わることはなかったのです。

 

この不定時法は西暦3000年頃のエジプトにはすでに存在し、バビロニアやギリシャでも生活時間として使われていたようです。時計が一般的でなかった時代には、生活をするには不定時法が便利だったのでしょう。つまり、太陽の運行が時計かわりになり、時間を知る術になったのです。

 

しかし、一方で天文観測という点ではやはり定時法が適しています。江戸時代には生活時間は不定時法、天文時は定時法という二重制が採られていました。生活と天文で時間の使い方を分けるというのは、現代人にとっては不便だと感じますが、季節と暦が異なっていたように、当時はそれが当たり前で不便とは感じなかったのでしょう。これもまた生活の知恵と言えるのではないでしょうか。

 

高見澤

 

おはようございます。2月に入り、日が明けるのも大分早くなりました。これから夏至に向けてだんだんと日も長くなっていくことでしょう。

 

さて、本日も引き続き暦に関するお話をご紹介していきましょう。

「草木も眠る丑三つ時」という言葉があります。『延喜式』によれば、前回ご説明した一振刻(およそ2時間)を四刻(一刻から四刻)に分けた時間の単位もありました。つまり一刻は約30分に相当することになります。ですから「丑三つ時」というのは、丑の刻(午前1時~3時)の三刻目、すなわち午前2時を指すことになります。宮中においては十二振刻を太鼓で知らせていましたが、丑三つ時だからといって太鼓が三つ鳴るということではありません。太鼓で知らせるのはあくまでも「九つ」から「四つ」までの十二振刻で、四刻は清涼殿の庭にあった「時の簡(ふだ)」に、一昼夜四刻ごとに木釘を刺して時刻を示したと言われています。

 

江戸時代には、時報を知らせる「時の鐘」が各地に設けられました。現存するものとしては埼玉県川越市の「時の鐘」が有名ですが、今は機械式で午前6時、正午、午後3時、午後6時の1日4回、川城下に時を知らせています。

しかし江戸時代に鳴らされた数は、宮中の太鼓の時報を踏襲して、九つ、八つ、七つ、六つ、五つ、四つでした。落語や時代劇などで「明六つ」、「暮六つ」という言葉が出てきますが「卯の刻(午前5時)」が「明六つ」で、「酉の刻(午後5時)」が「暮六つ」です。

江戸時代は、日が長い夏至の頃でも、日が短い冬至の頃でも夜明けが「明六つ」で、夕暮れが「暮六つ」でした。江戸時代までの日本の生活上の時刻は、日の出と日の入りを昼夜の区切りとする不定時法だったので、こうした仕切りができたのです。

次回はこの不定時法についてお話ししたいと思います。

 

高見澤

 

おはようございます。今日から2月です。中国では1月28日に旧暦の正月を迎え、連休を利用して多くの観光客が日本を訪れているようですが、その休みももうすぐ終わり、中国行の飛行機は荷物を抱えた中国人で混雑することでしょう。

 

さて、これまでは江戸時代の暦法についてご紹介してきましたが、では江戸時代の人々の1日はどのような概念だったのでしょうか。

 

落語の「時そば」に客が「今何時(なんどき)でい?」と時刻を尋ねると、そば屋の主人「へい、九(ここの)つでい」と応じるシーンがあります。宣命暦では1日を12の時間に分ける十二辰刻(じゅうにしんこく)〔十二時辰(じゅうにじしん)〕が使われていました。一辰刻は一時と称され、およそ2時間です。「およそ」というのは、これも後日説明しますが、江戸時代は夜と昼の長さが季節によって変動していたからです(不定時法)。この十二に分けられた辰刻に、それぞれ十二支の名前が付けらえていました。午前零時前後が「子の刻」、午前二時前後が「丑の刻」、午後四時前後が「寅の刻」となります。

 

一時(2時間)というのは、やはり当時としても時間の単位としては長すぎるので、一辰刻を初刻と正刻に二分していました。昼時を「正午」というのは、午後零時が十二辰刻の「午の正刻」に当るからです。この午の正刻を境として1日を「午前」と「午後」に分けているのです。同様に午前零時(夜の12時)は「正子(しょうし)」と呼ばれます。ちなみに、「子の刻」というのは前日の午後11時から翌日の午前1時までの2時間で、「丑の刻」は午前1時から午前3時までを指します。

 

平安時代の宮中の儀式や制度の施行細則が記されている『延喜式』によれば、宮中では十二辰刻が太鼓の音によって知らされていたようです。その数は子の刻が「九つ」で、順次一つずつ減らして「四つ」になると、再び「九つ」から始めると定められていました。なぜ「九つ」から「四つ」までで終わるのかは、中国から伝わった慣例だと推測されるだけでよく分かりません。「時そば」で夜中の11時過ぎにそばを食べて勘定を1文少なく払った「九つ時」と、逆に11時前に食べて4文多く払ってしまった「四つ時」の滑稽さがストーリーになるのは、こうした当時の慣習があったからです。

 

ところで、「おやつ」という言葉があります。いわゆる午前10時頃、あるいは午後3時頃食べる感触のことですね。「子の九つ」は真夜中ですので、単に「九つ」といえば午前11時を指し、その一辰刻後の午後1時から午後3時までが「八つ」となります。昔は1日2食が普通でしたので、八つ時(未の刻)になるとお腹が空いてきます。それで軽食をすることを「おやつ」というようになったとのことです。

 

今では誰でも正確な時計が分かり、寸秒を争うような生活をしていますが、昔は正確な時刻を必要としていたのは天文博士、暦博士、暦算家などの専門家や役人などに限られていました。江戸の庶民は、現代人のようにあまり時間に縛られることもなかったようですね。

 

高見澤

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