東藝術倶楽部瓦版 20170203 :定時法と不定時法ー二重制を採用していた江戸時代

 

おはようございます。最近新聞をみると米国トランプ新大統領に関する記事で埋め尽くされています。矢継ぎ早に出される大統領令について批判的な見方が大半を占め、なぜ今米国民がそのような選択をしたかを真剣に問おうとはしていません。ブレグジット然り、イタリアの憲法改正論議然りで、現実無視の勝手な思い込みによる批判は決して正しい結論を生み出しません。これが今の日本を現しているのかもしれません。

 

さて、本日は「不定時法」による時間の決め方についてご紹介しておきたいと思います。1年のうちで昼間の時間の最も長い日が夏至、その逆に夜間の時間の最も長い日が冬至であることは誰もがご存知のことです。1日24時間を均等に24分割して時間を表す方法が「定時法」で、今の時間表示はこの定時法に基づいています。時差はあるものの全世界共通なので昼夜の長さを問わず、グローバル化時代に対応した方式です。

 

一方、江戸時代の人々の1日の活動は日の出とともに始まり、日の入りとともに終わります。電気のない時代ですから、活動しようにも活動する術がなかったのです。ですから、合戦時や吉原のような特殊な世界を除けば、現代のように長時間残業による過労死などということは、一般には存在しえなかったのです。

 

このような1日の活動からすると、定時法では何かと不都合が起きます。「1日の計は朝(あした)にあり」と言われますが、「1日の計は寅(とら)にあり」とも言います。この「寅」というのは「寅の刻」、すなわち「暁七つ」の時間です。「お江戸日本橋七つだち...」という歌にもありますが、およそ午前3時から4時頃を指します。暁七つに日本橋をたつとなると、夏至の頃はともかく、冬至の頃は夜明けが午前6時過ぎになってしまうので、街灯もない時代、仕事どころか歩くこともままなりません。

 

そこで採用されていたのが、日の出を「明六つ」、日の入りを「暮六つ」として定め、昼夜をそれぞれ六等分して時刻を定める「不定時法」だったのです。ですから、夏は昼間の一時が夜間の一時よりも長く、冬はその逆になります。これが江戸時代の生活上の時刻制度です。ということは、夏の「七つだち」も冬の「七つだち」も日の出までの時間はさほど変わることはなかったのです。

 

この不定時法は西暦3000年頃のエジプトにはすでに存在し、バビロニアやギリシャでも生活時間として使われていたようです。時計が一般的でなかった時代には、生活をするには不定時法が便利だったのでしょう。つまり、太陽の運行が時計かわりになり、時間を知る術になったのです。

 

しかし、一方で天文観測という点ではやはり定時法が適しています。江戸時代には生活時間は不定時法、天文時は定時法という二重制が採られていました。生活と天文で時間の使い方を分けるというのは、現代人にとっては不便だと感じますが、季節と暦が異なっていたように、当時はそれが当たり前で不便とは感じなかったのでしょう。これもまた生活の知恵と言えるのではないでしょうか。

 

高見澤

2021年1月

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このページは、東藝術倶楽部広報が2017年2月 3日 09:42に書いたブログ記事です。

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