東藝術倶楽部瓦版 20170227 :昔の年は「十干十二支」で表されていた!

 

おはようございます。まだまだ寒い日が続きます。

今週木曜日から北京出張です。2泊3日なので土曜日には戻ってきますが、また3月17日から21日まで北京出張の予定が入っています。年度末作業と来年度事業に向けた準備で大忙しです。

 

さて、本日からは「十干十二支(じっかんじゅうにし)」についてご紹介していきたいと思います。

昔の年月日は、主にこの十干十二支で表されることが一般的でした。「乙巳の変(いっしの変)」(645年)、「壬申の乱」(672年)、「戊辰戦争」(1868年)、「辛亥革命」(1911年)といった歴史的事件はご存知かと思いますが、( )内の西暦の年がその十干十二支に当るわけです。

 

この十干十二支は、「十干(じっかん)」と「十二支」の組み合わせによって表されます。十干とは「甲、乙、丙、丁(てい)、戊(ぼ)、己(き)、庚(こう)、辛(しん)、壬(じん)、癸(き)」、十二支とはご存知の通り「子、丑、寅、卯、辰、巳、午、未、申、酉、戌、亥」を指します。この十干と十二支をそれぞれ組み合わせると60種類になります。つまり、60年ごとに同じ十干十二支が巡ってくるので、この一回りのことを「還暦」と呼ぶのです。ですから、十干十二支のことを別名「六十干支(ろくじっかんし)」とも言います。ちなみに今年(2017年)は「丁酉(ひのととり/ていゆう)」の年に当ります。

 

一般的に十二支を「干支(えと)」と呼んでいますが、厳密に言えばこれは間違いです。「干支」をなぜ「えと」と呼ぶのかは日を改めてご説明しますが、十二支は12年ごとに回ってきますので、この十二支を聞くだけで年齢はほぼ特定できてしまいます。ですから、女性に十二支を聞くときは注意が必要ですね。

 

この十二支の習慣は、元々は古代中国にその起源があるといわれていますが、いつ頃から始まったのはよく分かりません。遅くとも商の時代の甲骨文字にはすでに十干十二支による年の記載がみられたとのことですから、その起源は3000年以上に遡ることができるものと思います。ちなみに、今の中国で使われている十二支は日本とほぼ同じですが、「亥」だけが「豚(猪は中国語では「豚」の意味)」になっています。

 

次回は「十干」について紹介したいと思います。

 

高見澤

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このページは、東藝術倶楽部広報が2017年2月27日 10:56に書いたブログ記事です。

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