おはようございます。瓦版も随分と休刊しており、楽しみにしていた方にはご迷惑をお掛けしてしまいました。皆様のご理解を賜れば幸いです。
さて、昨日は8名が参加しての横浜大岡川桜花見&シルク浮世絵勉強会を開催しました。五井野博士の講演会と重なってしまったこともあり、参加者は少なかったのですが、それなりに盛り上がり、楽しい一時を過ごすことができました。参加していただいた皆様には、改めて御礼申し上げます。次回もまた楽しい企画を考えたいと思いますので、ぜひご参加の程宜しくお願い致します。
暦の話も随分と真が空いてしまい、どこまで話が進んだか忘れてしまいそうになります。前回は「十干」についてのご紹介だったので、本日は「十二支」についてご説明したいと思います。
「十干十二支」が古代中国でかなり昔から使われてきたことは、既に紹介した通りです。ですから、正直なところ実際にどのような起源があるのかは古すぎて定かではありません。今回、ご紹介する「十二支」の起源も一つの説としてご理解いただければと思います。
中国では、古来「木星」のことを「歳星」や「太歳」と呼んでいました。これは木星が天球の黄道(地球からみた天球上の太陽の通り道)を約12年(公転周期11.86年)かけて一周するため、1年を秩序づける星として観測が重視されていたからです。そこで、この木星の運行と関連付けて1巡する十二支が生まれたというものです。
中国で、年、月、時刻に十二支が配当されるようになったのは、十干十二支の成立から約1000年後の戦国時代(BC5~BC3世紀)の頃と言われており、これは天文暦法の発達・整備と関連しているようです。子、丑、寅...という十二支の文字に、ネズミ、ウシ、トラ...といった動物が配されたのも戦国時代であったようです。こうした動物が配された理由についはよく分かっていません。釈迦が動物を招集した話など、いろいろと物語風に語られるものもありますが、いずれも真実性の欠けるものです。
十二の月に配される十二支は以下の通りです。
11月:子、12月:丑、1月:寅、2月:卯、3月:辰、4月:巳、
5月:午、6月:未、7月:申、8月:酉、9月:戌、10月:亥
11月が十二支の最初の「子」の月になっているのは、立春正月が定着する前の古代中国では、冬至を含む月が年初とされた時代があったからだとされています。中国では1月(寅月)を「建寅月」と呼びますが、これを日本では「寅にをさず月」と言います。「をさず(建ず)」は「尾指す」の意味で、古代中国では、毎年この月の夕刻には北斗七星の柄杓の柄(尾)が垂直になり、寅の方角(東北東)を指していたことから、「寅にをさず」となるわけです。つまり、北斗七星の柄の向きが1年の起点を示す暦代わりになっていたのです。
また、北半球の星座は北極星の周囲を1日で1周しますので、北斗七星の柄は1時間に15度回転することになります。そこで、この北斗七星は時計代わりにも利用されていました。時計や暦は12進法によって成り立っています。十二支にも係るこの数字に宇宙の神秘性を感じざるを得ません。
高見澤