おはようございます。
昨日の東京は、夕方から突然の雨で雷も鳴り、一部の地域で停電もあったようです。私が帰宅の途について夜7時半頃にはすっかり雨も止んで、傘をささずに家にたどり着くことができました。本日は朝から天気も良く、やっと春らしい感じになり、この一両日の暖かさで桜も満開に近い状態になるかもしれません。
さて、本日は暦の「十二支」と浮世絵との関係について、ご紹介したいと思います。
東藝術倶楽部の皆さんにおかれましては、浮世絵にいろいろな「落款」があるのをご存知かと思います。版元、絵師、彫師、改印または極印、揃物、役者絵であれば役名と役者名、風景画であれば場所などが、浮世絵の中に描かれています。そうした落款の中で、実は年月を表すものもがあります。
江戸時代、庶民は自由闊達な生き方をしていたとはいえ、やはりある程度風俗や秩序を乱す行為には目を光らせていました。浮世絵を出版するに当り、幕府が検閲を行う(今でいう映倫・ビデ倫の類でしょうか)時代が出てきます。そのお墨付きが「改印」や「極印」の形で浮世絵に落款として描かれます。そして、その検閲時期を「年月印」として一緒に記したのです。その年の表記の仕方が十二支で表されていました。
例えば、三代歌川豊国の作品であれば「酉正九」と書かれていれば、可能性として文久元年(1861年)9月と推測されます。文久元年は酉年です。三代豊国の生年は天明6年(1786年)、没年は元治元年(1865年)で、そのうち豊国を号したのが弘化元年(1844年)から没年までです。弘化元年から元治元年まで、酉年は嘉永2年(1849年)と文久元年(1861年)の2年だけ。「酉」の次の「正」が「元年」を示すとみれば、文久元年9月に検閲を受け、出版したとみることができるのです。
極印や改印が使われた時代、絵師の号した雅号、役者絵であれば演じられた演目の年月日などからもその浮世絵が描かれた年月をある程度知ることができます。
こうした面から浮世絵を見てみるのも、江戸を知る上で面白いかもしれませんね。
高見澤