東藝術倶楽部瓦版 20170405 :月の大小を謎解く-江戸の絵暦

 

おはようございます。今朝の東京は比較的暖かく、やっと春を思わせるような陽気になったようです。我が職場の近くにある靖国神社や千鳥ヶ淵といった花見の名所の桜も満開に近づき、今週後半から週末にかけて大勢の花見客で賑うことでしょう。

 

さて、本日は江戸の「絵暦(えごよみ)」についてお話ししたいと思いますが、その前に、先ずは月の大小について紹介しておかなければなりません。

月には「大の月」と「小の月」の月があることは、小学生でも知っていることですね。現在のグレゴリオ暦では、大の月は1、3、5、7、8、1012月で31日まであり、小の月は2、4、6、9、11月で2月以外は30日までで、2月は28日、閏年は29日になっています。小の月の覚え方として、「西向く士(にしむくさむらい:二、四、六、九、十一)」というのがありますよね。では、なぜ1年が12カ月なのでしょうか?

 

この1年が12カ月というのは、現在のグレゴリオ暦でも、旧暦である太陰太陽暦でも同じです。これは1年における月の満ち欠けの回数に基づき区切られたものと考えられます。朔(新月)から次の朔までの平均日数(平均朔望月)は約29.5306日で、太陽が春分点から次の春分点まで回帰する日数(一太陽年)が365.2422日ですから、一太陽年を平均朔望月で割れば、1年は12.37カ月となります。これを2でも3でも4でも割り切れる便利な12進法の概念が生まれ、更にはその5倍である60進法が時間の概念として使われるようになったと言われています。ですから、1年を12カ月とした場合に、端数を処理しなけれならない関係から月の大小が生じたものと思われます。

 

グレゴリオ暦では月の大小が毎年決まっているので覚えやすいのに対し、江戸の暦では年によって月の大小が変わります。太陰太陽暦ですから、月の満ち欠けが月の長さを決定します。大の月は31日ではなくて30日、小の月は30日ではなく29日です。平均朔望月が約29.5306日ですから、30日と29日で1年を調整することになります。しかし単純に30日と29日の繰り返しでは暦と季節にズレが生じてくるので、更にそのズレを調整するために「閏月」が2、3年に一度挿入されることになります。毎年、次の年の暦を計算する際に、大小の月の並びや挿入する閏月が変わるので、庶民にとってそれを知ることは生活する上で極めて重要なことだったのです。月末に支払いや代金の取り立てをする商店では、間違いないように「大」と「小」の看板を、月に合わせて店頭に掲げていたところもあったようです。

 

暦が次第に普及してきた江戸時代には、月の大小を並べ方だけを示す「大小暦(だいしょうれき)」が生まれました。当時は「大小(だいしょう)」と呼ばれていましたが、ただ単に大小の月だけを示すのではなく、絵や文章の中に月の大小と配列を折り込むなど工夫をこらして楽しむようになりました。これが多色刷りの印刷物、即ち「浮世絵」として世に出回った「絵暦」なのです。

 

貞享年間(168488年)に始まり、明和年間(176472年)から寛政年間(17891801年)に掛けて最も流行っていたと言われています。絵暦の代表絵として有名なのは、明和元年(1764年)の鈴木春信筆の「夕立図」で、竿に掛かっている着物に、「大、二、三、五、六、八、十」の数字と、「メ、イ、ワ、二」の文字が見られます。謎解きのような浮世絵の楽しみ方も、江戸ならではの粋な遊びだったのかもしれません。

 

高見澤