東藝術倶楽部瓦版 20170410 :時計にまつわるこぼれ話-時計の語源は?等々

 

おはようございます。大分暖かかった昨日から、今朝は一転して冷たい風を感じる東京です。とはいえ、太陽も出てきているので、昼間は暖かくなるかもしれません。

それにしても先週は米中首脳会談が行われている最中の米軍によるシリアへのミサイル攻撃。よっぽど米中首脳会談に対する世の中の関心を別の方向に向けたかったのではないかと思わせるような、突然の米国の動きに、私自身は注目しているのですが...

 

さて、今朝は「時計のこぼれ話」とでも言いましょうか、時計の豆知識をいくつか紹介しましょう。

先ずは、時計がなぜ右回りなのかということ。答えは簡単で、最初の時計が太陽による日時計であったことからです。日時計の影は、北半球では右回り。そこに時を示す文字盤に針の影が当たることで時間を計っていたのです。その名残が機械式時計にも反映されているのです。

 

次は日時計ならぬ「火時計」というものがあります。これは線香や蝋燭の燃える進み度によって時間を計るものです。火時計の一種である「香時計」は、元々は寺における「六時礼讃」という礼法における勤行の際に「時香盤」と呼ばれる来香時計が始まりだったようです。四角い箱に灰を入れ、その上に「W」の形に香を敷き、Wの先から火を着けてその進み具合で時間を計るものです。文字盤はありませんが、晨朝、日中、日没、初夜、中夜、後夜の時刻に合わせて金串が目印として立てられていて、時計としての役割を果たしていました。江戸時代の遊郭でも「線香時計」が使われていたようで、線香が燃え尽きるごとに揚代・花代が加算されていき、このことから揚代・花代のことを「線香代」とも呼ばれていました。

 

これと似たようなものに、水の落ち方で時を計る「水時計」があります。水時計は、古代エジプトやバビロニアでも3000年以上も前から使われており、中国でも戦国時代(BC403BC222)に成立したとされる『周礼(しゅうらい)』に「刻漏」という官名が記されており、その頃には既に水時計が存在していたものと思われます。日本へは、インドの仙人・法道(6、7世紀頃)が「漏刻」を伝えたとの説があります。『日本書記』によれば、斉明天皇6年(660年)に、中大兄皇子が「初めて漏刻を作り、民をして時を知らしむ」と書かれており、これが文献に初めて出てきた水時計に関する記載です。奈良県飛鳥の水落(みずおち)遺跡がこの漏刻の遺構ではないかと言われています。

 

砂の落ち方による「砂時計」は現代でもお馴染みの時計です。しかし、砂時計の起源はよく分かっていません。日本では、徳川家康が元和2年(1616年)に死んだ後、遺品を尾張、紀伊、三戸の御三家に分配したときの覚帳に「ひとけい」、「唐のとけい」、「方とけい」と並んで「すなとけい」というのがあったそうです。家康は砂時計を2つ持っていました。

 

江戸時代、庶民は「時の鐘」による鐘の鳴る音で時間を把握していたことは、先にご紹介した通りです。欧州でも教会で毎日鳴らされる鐘の音があります。確かにこの音によって人々は時間を知ることになりますが、これはと「教会時法」呼ばれ、定時の祈りの時間を知らせるためのものであったようです。カトリックでは、「時祷」や「時課」といった定時の祈りが定められていたのです。

 

『周礼』に「土圭」という日時計を扱う官位が記されています。これが「時計」の語源とされています。江戸城には機械時計が置かれていた部屋があり、これを「土圭の間」と呼ばれていたそうです。元々「土圭」というのは、土地の方角を測定する器具を意味していたようで、太陽の運行を観測して方位を定め、季節や時刻を知った時代もありました。そのために、地面に垂直な柱を立て、その長さを測定しました。その影の長さを測定する目盛り尺を「圭」または「土圭」と呼んでいました。

 

天智天皇10年(671年)、「四月丁卯朔辛卯。置漏剋於新台。始打候時。動鐘鼓。始用漏刻」という記載が『日本書記』にあります。これは天智天皇6年(667年)に近江大津宮に遷都した後のことで、「漏刻」を移転し設置し、鐘や鼓を打ち鳴らして時刻を伝えたという記録です。日本の時報制度の始まりということです。この「四月丁卯朔辛卯」は旧暦では4月25日、これをグレゴリオ暦では6月10日になることから、大正9年(1920年)に「時の記念日」として定められました。

 

まだまだ時計にまつわるこぼれ話はたくさんありますが、紙面の関係もありますので、今日のところはこの辺りで終わりにします。次回からは「江戸の年中行事」についてご紹介したいと思います。

 

高見澤

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このページは、東藝術倶楽部広報が2017年4月10日 10:31に書いたブログ記事です。

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