東藝術倶楽部瓦版 20170509 :除夜は寝なかった庶民の正月

 

おはようございます。ご無沙汰しており、大変失礼致しました。4月中旬から出張が続き、昨年度の事業報告、新年度の事業計画や予算取りなど、朝早くから夜遅くまで、ゴールデンウイークの休日も満足に休めない日々が続きました。瓦版の発信ができず、ご理解の程、よろしくお願い致します。

 

さて、季節もアッという間に「立夏」もすぎて、暦の上では既に夏到来となっていますが、実際の気候も昨日の気温をみてみると関東各地で真夏日となっています。ここ数年、日本でも一年の気温の差が極端に大きくなってきているように感じるところです。これも何か地球規模での大きな変化が起きる予兆なのかもしれません。

 

さて、今日は睦月(1月)の年中行事についてご紹介したいと思います。

1月といえば年初、何といっても「元旦」を迎えるのが、日本人にとって最初の大きな年中行事です。日本では、今は西洋暦(グレゴリオ暦)による1月1日を元日として祝いますが、江戸時代は当然旧暦の1月1日が元日であったことは想像に難くありません。

 

そもそも「元旦」というのは、年初の日「元日」の朝のことを指します。元日は1月1日のことですから、「1月元旦」という必要はありませんし、「旦」は朝のことですから、「元旦の夜」という言い方も変です。言うならば「元日の夜」という言い方でしょうね。

 

新年は「新春」とも言います。年賀状には、「賀春」、「迎春」、「頌春」といった言葉が使われますよね。これは、旧暦においては、新年を迎えることは「春を迎える」ことという説明で、何となく分かったような気になります。しかし、旧暦の元旦といっても新暦の1月中旬から2月初旬の頃ですから、まだまだ寒さは厳しく、「春」というにはまだ程遠い感じがします。それでは、なぜ新年を春というのでしょうか?

 

それは、日本が中国の暦法である「儀鳳暦」を施行したことが始まりと言われています。この「儀鳳暦」は唐の「麟徳暦」のことで、当時、唐では「立春正月思想」とされており、その考え方も暦法と一緒に渡来したということなのです。「立春」は二十四節気のうちの一つであることは、以前この瓦版でご紹介した通りです。

 

江戸時代、庶民は大晦日の晩は寝なかったようです。寝ないから「除夜」という説もあるようですが、有力なのは「古い年を押しのけて、新年を迎える夜」という説だそうです。除夜の鐘とともに年越し蕎麦を食べ、初日の出を拝むのが庶民の元旦の楽しみの一つであったようです。初日の出を拝む場所としては、深川洲先(須州)、芝高輪、築地等の海岸や駿河台、お茶の水、日本橋周辺が有名だったとのことです。

 

一晩寝ないと、さすがに元日はもっぱら寝ることになります。そして正月二日から正月行事が始まります。江戸時代中期には「初夢は二日の晩の夢」とされていたようですが、今の初夢は元日から翌二日に見る夢を指しています。

 

一方、公家や武家では除夜を行わず、元旦から何かと儀式があって休めなかったようです。天皇は四方拝を行うことになっており、元日節会で宮中や殿中に出仕していたとのこと。何となく自分の生活を顧みているような気にもなります...

 

今ではもう廃れたというか、物理的にできなくなりましたが、元旦の水汲みである「若水迎え」という習慣もありました。元日の早朝に、なるべく遠くへ水を汲みに出かけ、途中で人に会っても口を聞いてはならず、汲んできた水、即ち「若水」を年神様に備え、雑煮やお茶に使って邪気を祓っていたとのことです。今でも地方によっては残っているところもあるようですが、水道が普及した現代ではなかなか考えられない風習です。

 

高見澤

2021年1月

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このページは、東藝術倶楽部広報が2017年5月 9日 12:46に書いたブログ記事です。

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