東藝術倶楽部瓦版 20170510 :君がため、春の野に出でて若菜摘む、わが衣手に雪はふりつつー人日と七草粥

 

おはようございます。今朝の東京都心の天気は小雨がパラパラとした状態です。ここ2、3日は気候の急変による災害も起きていますので、注意が必要です。意識を持った行動に心がけましょう。

 

さて、本日も睦月の年中行事の一つである「人日(じんじつ)」についてご紹介したいと思います。この人日は先般お話しした「五節句」の一つでもあります。旧暦の正月七日を人日としており、文字通り「人の日」を意味しています。

 

この由来を調べてみると、中国の前漢時代(BC206AD8年)の文人である東方朔(BC154BC92)によって書かれた『占書』に、正月一日から六日までを獣畜を占い、七日に人を占う風習があったことが記されており、古来中国では、正月一日を鶏の日、二日を狗(いぬ)の日、三日を猪(ぶた)の日、四日を羊の日、五日を牛の日、六日を午の日、そして七日を人の日としていました。そして、それぞれの日には、その日に該当する動物を殺さないようにしていました。ですから、七日には犯罪者に対する刑罰も行わないようにしていたそうです。この風習が平安時代に日本に伝わってきました。

 

一方、古来日本では、年の初めに雪の間から芽を出した若菜を摘む「若菜摘み」という風習がありました。「君がため、春の野に出でて若菜摘む、わが衣手に雪はふりつつ」という、百人一首でお馴染みの光孝天皇の歌にもありますが、これが、中国から伝来した人日の風習と融合して日本独特の風趣が生まれます。それが人日の日に食べる「七草粥」です。

 

当時、中国では人日の日に7種類の食材が入ったスープである「七種菜羹(ななしゅさいのかん)」を作って食べる習慣がありました。この影響を受け、日本でも7種類の穀物を塩で味付けした七種粥が食べられるようになりました。それが「若菜摘み」と結びついて七草粥になったと言われています。皆さんの中には七草粥の材料となる春の七草を言える方もいるかと思います。「せり、なずな、ごぎょう、はこべら、ほとけのざ、すずな、すずしろ」ですよね。

 

先般もご紹介した通り、江戸時代にこの人日が式日として定められました。これによって、七草粥を食べる習慣が庶民の間に定着していきます。旧暦正月七日は、今では2月初旬から中旬です。雪解け間近の雪の間から新たな生命力を持った植物が芽生え、それを旬のものとして食することが人の心身の健康につながっていくと考えられていたのかもしれません。

 

高見澤

2021年1月

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このページは、東藝術倶楽部広報が2017年5月10日 09:48に書いたブログ記事です。

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