東藝術倶楽部瓦版 20170526 :今夜尊卑の家にていり豆をうちー節分

 

おはようございます。今日の東京都心は朝から雨、梅雨入りも間近といったところでしょうか。昨日は日比谷にある帝国ホテルで勉強会があり、昼を挟んで外出したのですが、湿度が高く汗だくになって事務所に戻ってきました。相変わらず忙しい毎日を過ごしています。

 

さて、如月の年中行事と言えば、何と言っても「節分」を取り上げないわけにはいきません。節分とは、本来であれば季節の変わり目である「立春」、「立夏」、「立秋」、「立冬」の前日を指しますが、一般には立春の前日に節分の行事を行うのが通例です。

 

立春が二十四節気の一つ、「正月節」であることは以前お話しした通りですが、少し詳細に説明しておきましょう。天文学的に言えば、定気法では太陽黄経315度、すなわちグレゴリオ暦では2月4日頃になります。年によっては2月3日や5日になることもありますが稀です。この日から次の節気の「雨水」の前日までが立春になるわけです。この立春は「八十八夜」や「二百十日」、「二百二十日」などの「雑節」の起算日であり、また「春一番」も立春から春分の間に吹く南寄りの強い風を指すなど、季節の節目になる重要な日なので、覚えていても損はありません。

 

節分には、鰯の頭を刺したヒイラギの枝を戸口に立て、煎った豆を撒いて悪鬼や疫病を退散させる習慣があることはご存知のことでしょう。豆まきの風習もまた中国から伝わってきたものと言われており、日本ではもともと宮中行事になったようです。10世紀に書かれた『蜉蝣日記』には、「十二月のつごもりがたに、...儺(な)などいふもの、こころみるを」というくだりがあります。「儺」とは悪鬼のことで、昔は節分の行事を「追儺(ついな)」、「儺やらひ」、「鬼やらひ」とも呼んでいました。「十二月のつごもりがた」は大晦日のことで、立春正月を基本とする旧暦では、豆まきは大晦日に行われるものだったのです。

 

この風習が次第に庶民の間にも広まってきます。年男が「福は内、鬼は外」と言って、煎った豆を撒く厄払い行事は中国の明朝時代の風習で、これが室町時代に伝わったと言われています。ただ、奈良時代にはすでに宮中行事になっていたとの説もあり、どちらが正しいのかは分かりませんが、いずれにせよ宮中行事が庶民の間に広まっていったことは間違いありません。

 

江戸後期の板本『東都歳事記』(天保9年:1838年、須原屋茂兵衛・伊八)によれば、「今夜尊卑の家にていり豆をうち、ひいらぎ鰯の頭を戸外に挿す。豆をまく男を年おとこといふ。今夜の豆を貯へて、初雷の日、合家是を服してまじなひとす。また今夜いり豆を己が年の数に一ツ多く数へて是を服す。世俗今夜を年越しといふ」とあります。今でも節分に豆を撒き、自分の歳より一つ多く食べる習慣は残っています。また、鰯の頭を刺したヒイラギの枝を軒下に吊るした風習があることも、アニメの「サザエさん」などを見ていると出てきますよね。ただ「節分の豆が雷よけのおまじないになる」との話は初めて聞きました。


『東都歳事記』に浅草寺の節分会、亀戸天満宮や雑司が谷鬼子母神の追儺のことなども記されているように、江戸時代には多くの神社仏閣でこうした行事が盛んに行われていたようです。これもまた江戸庶民の生活の楽しみの一つでもあったのでしょう。

 

高見澤