2017年6月アーカイブ

 

おはようございます。今朝の東京は曇り、時々雨がぱらついていますが、出勤時には傘をささずに職場にたどり着くことができました。天気予報では今週は雨日和が続き、来週は天気が回復して暑くなる日が多くなるとか。

 

さて、本日も引き続き「上巳の節句」に関連した話題で、「雛の膳(ひなのぜん)」について紹介していきたいと思います。雛の膳というのは、その字が示す通り、雛祭りに際し、雛壇などに供えられる祝い膳のことです。すでに紹介した通り、雛祭り自体が一種の「祓い」の行事であったことから、雛壇に供えられる雛の膳にも何らかの意味があることが容易に想像できます。

 

この雛の膳に欠かせないのが「桃の酒」と「白酒(しろざけ)」です。桃の酒は桃の花を浸した酒で、上巳の節句に飲めば百病を除くと言われています。桃そのものは古代中国では邪気を祓う仙北とされていたことから桃の酒を飲む習慣ができたと言われ、その考えが日本にも伝わり、魔除けとして桃の木を用いることが多く、神符なども「桃符」と呼ばれることもあるくらいです。桃の葉は、汗疹やただれに効き目があり、「桃湯(ももゆ)」あるいは「桃葉湯(とうようとう)」と呼ばれるように、浴湯に入れることもあります。また、葉の汁を飲むと魚の中毒を緩和するとして、昔から用いられてきています。

 

江戸時代(一説には室町時代)になると、桃の酒に加えて白酒が添えられるようになります。この白酒は中国の「白酒(Bai jiu)」とは全く異なるもので、味醂に蒸した米や麹を混ぜ合わせ熟成糖化させた白く濁った酒のことです。甘味が強く、「山川酒(やまかわざけ)」とも呼ばれています。桃の酒の赤に白酒の白と、紅白がめでたいこともあって、両方の酒が供えられるようになったとも考えられます。

 

「菱餅」も雛壇には欠かすことのできないお供えものです。菱餅は、伸し餅を菱型に切ったもので、ふつうは紅白緑の三層をなしています。この三色にも意味があり、赤の着色に使う山梔子(くちなし)が解毒剤、白の菱が血圧低下剤、緑の着色に使う蓬(よもぎ)が造血剤となっています。また、菱餅の形は心臓の形を表しているとも言われています。この菱餅は、「雛あられ」とともに、この季節に特に補給しなければならないデンプンが多く含まれており、雛飾りと言う遊び心とともに、季節に合わせた栄養補給の意味が込められているのです。

 

雛壇の前で女の子が集まって会食を楽しむ風景は、かつて日本で旧暦3月頃に行われていた山遊びの風習を伝えたものだとの説もあります。昔は山や川で穢れを祓った後、蓬などを採って食事を作り、膳を供していたようです。

 

ちなみに雛の膳に関連して、七段飾りの四段目、随身の真ん中に飾られるのが「掛盤膳(かけばんぜん)と菱餅です。掛盤膳とは高級なお膳の型で、上の右に平椀(おひら)、下の右に汁椀、中国に腰高〔高坏(たかつき)〕、上の左に壺椀(おつぼ)、下の左に飯椀という置き方をするそうです。掛盤膳に湯桶と飯櫃(めしびつ)がついたものは、両つぎ付と呼ばれます。

 

高見澤

 

おはようございます。ここ数日、やっと梅雨らしい天気になりましたが、各地で土砂災害などの恐れも高まっているので、注意が必要です。

 

さて、本日も前回に続き雛人形について紹介していきたいと思います。今回は雛人形の飾り方です。飾り方には大きく分けて3通りあります。

① 親王飾り:最上段の男女一対となる親王だけを飾る。

② 七段飾り:人形が15人揃った段飾り。

③ 五人飾り:親王に三人官女を加えた段飾り。二段、または三段飾り。

 

ここでは、「七段飾り」について説明しておきたいと思います。七段のそれぞれの意味が分かれば、「親王飾り」も「五人飾り」も自動的に理解することになるからです。では、なぜ七段なのかというと、 古来、「七」と言う数字は縁起が良いとされてきたからです。この七段飾りは江戸時代以降の一般的な段飾りとして最も壮麗な飾り方とされ、別名「十五人飾り」とも呼ばれています。一段目から五段目に置かれる飾り(人形)はそれぞれ以下の通りです。

一段目:親王

二段目:三人官女(さんにんかんじょ)

三段目:五人囃子(ごにんばやし)

四段目:随身(ずいしん)

五段目:仕丁(じちょう)

 

·  七段飾りの一段目は「内裏雛」です。男雛(おびな)と女雛(めびな)の一対からなり、親王と親王妃を表しています。「お内裏様」、「お雛様」とはどちらもこの一対の男雛と女雛の両方を指しています。男雛は立纓(りゅうえい)と呼ばれる冠を戴いていることが多く、女雛は十二単を着ているのが一般的です。

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二段目は内裏様に仕えてお世話をする女官(侍女)の「三人官女」です。作法、和歌、漢文のたしなみがあるとされ、内一人はお歯黒で眉無しの姿をしています。向かって右から提子(ひさげ)、三方(さんぽう)、長柄(ながえ)の順に飾ります。

 

三段目は能楽の囃子方(はやしかた)を表す「五人囃子」です。向かって右から謡(うたい)、笛、小鼓(こつづみ)、大鼓(おおつづみ)、太鼓の順に並べます。また、能囃子の代わりに「五人雅楽」の楽人を飾るものもあり、同じく右から鞨鼓(かっこ)、楽太鼓、笙(しょう)、篳篥(ひちりき)、横笛の順に並べます。五人囃子は子供姿、五人雅楽は中性的な顔立ちですが、いずれも皆男性です。

 

四段目は、御殿を守る随身です。向かって右が年配の左大臣、左が若者の右大臣です。いずれも武官の姿をしており、近衛中将または少将です。

 

五段目は、内裏様のお供をしたり、庭掃除など御所の雑用をする従者の「仕丁」です。通常は3人1組で、向って右から立傘(たてがさ)、沓台(くつだい)、台笠(だいがさ)の順に飾ります。また、向って右から竹箒、塵取、熊手の順に飾るものもあります。それぞれ怒り、泣き、笑いの表情があり、「三人上戸(さんにんじょうご)」とも呼ばれています。

 

六段目、七段目は人形ではなく、道具の類なので説明は省略します。

 

高見澤

 

おはようございます。今朝の東京も昨日に続いて日差しが眩しく、暑くなりそうです。こまめに水分補給をして、熱中症対策に気を配ってください。

 

さて、本日は前回お話しした「雛人形」の続きです。前回、雛人形について飾り付けの特徴からそれぞれ種類があることを紹介させていただきましたが、実は人形そのものの作り方にも二つの種類があります。その一つが「衣裳着人形(いしょうぎにんぎょう)」で、もう一つが「木目込人形(きめこみにんぎょう)」です。我々が普段目にするものは衣裳着人形が多く、市販されているものの7割が衣裳着人形だと言われています。

 

衣裳着人形は、人形の胴体と衣装は別々に製作し、人形とは別に仕立てた衣装を人間が着るように、実際に人形の胴体に着付けして作り上げるものです。また、手足や頭も胴体とは別に製作され、顔の目の部分にはガラスが入れられています。

この衣裳着の雛人形の形が完成したのは、江戸時代だと言われています。明和から寛政年間(17641801年)頃、江戸の人形師である原舟月が京で作られていた雛人形(古代雛)を参考にして考案したもので、従来は筆で描かれていた目に、初めてガラスや水晶を入れ込み、衣装にも金糸や色糸で刺繍を施すなど豪華に仕上げたものとなりました。これが前回紹介した「古今雛」で、現代の衣裳着人形の原型とされています。

 

これに対して、木目込人形は、人形の胴体に溝を彫り込んで、その溝に布地の端を埋め込む技法、すなわち「木目込む」ことによって製作するものです。実はこの木目込みの技法の発祥もまた江戸時代の中期頃だと言われています。元々は京の上賀茂神社の雑掌(ざっしょう)が木に布を木目込んで作ったのが始まりで、それが江戸に伝わり江戸木目込み人形と呼ばれるようになったとのことです。

 

当初は子供の人形遊びの道具であった人形が、上巳の節句の飾り物として定着するのが室町時代とされ、「室町雛」として今の「内裏雛」の原型が出来上がったとされています。ただこの室町雛も室町時代のものであったかどうかは定かではないよです。とはいえ、江戸時代に入り、「寛永雛(かんえいびな)」、「享保雛(きょうひびな」、「次郎左衛門雛」、「有職雛」、「古今雛」へと次第に進化を遂げて行きます。平和な江戸時代であったからこそ、こうした高い文化が生まれ育つことが可能となったのでしょう。果たして現代はどうでしょうか?

 

高見澤

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一口に雛人形といっても色々な種類があります。昔からあるものとしては、公家装束の有職故実に従って平飾りされた「有職雛(ゆうそくひな)」、古風かつ宮中の華やいだ雅の世界の雛人形として有名な「内裏雛(だいりびな)」、京の人形司・雛屋次郎左衛門が考案し江戸の上流階級に好まれた「次郎左衛門雛(じろうざえもんびな)」、ふっくらとした可愛い子供のような顔の「おぼこ雛(おぼこびな)」、内裏雛の一種で江戸享保年間から流行り出した豪華な「享保雛(きょうほびな)」、高貴な貴族が和歌を詠む姿を表現した「歌仙雛(かせんびな)」、有職雛の影響を受けて江戸明和年間頃に人形司の腹船月が町雛として考案した「古今雛(こきんびな)」、白髪の人形で江戸時代から健康と長寿を祝ってきた「百歳(ももとせびな)」、天皇皇后両陛下の大礼の姿を模した立ち姿の「大礼雛(たいれびな)」などが有名です。最近では、平安京の朱雀大路の大内裏の宮城跡にある工房で作られている「朱雀大路 大極殿雛(すざくおおじ だいごくでんびな)」というのもあるそうです。


高見澤

 

おはようございます。今朝の東京は昨日とうって変わって日差し眩しく、朝の出勤時にでさえ汗ばむ陽気でした。これからますます暑くなっていくことでしょう。そういえば昨日6月21日は夏至でしたね。

 

さて、本日は前回説明した「上巳」に関連して、「雛人形」について少し補足的に解説しておきたいと思います。上巳の日に、「人形(ひとがた)」とよばれる「撫でもの」に自分の厄を写し、水に流して祓いを行う「流し雛」のことは前回説明した通りです。この撫でものは、草木や紙で人の形を作り、それで身体を撫でて厄を移すところから、撫でものと呼ばれるようになりました。この人形が雛人形の始まりだとされています。

 

平安時代、紙などで作った小さな人形は「ひいな」と呼ばれ、これが前述した人形の風習と融合して「雛人形」が生まれ、家の中に飾り付けられて祀るようになったということです。特に太平の世となっていた江戸時代には、雛人形ばかりでなく雛道具もともに豪華になり、雛飾りは女の子のあこがれの縮図として、「雛祭り」へと発展していったのです。雛人形の華美の度が過ぎるとして、徳川幕府が雛や調度に金銀箔を用いないよう御触れを出して戒めたこともあったようです。

 

一口に雛人形といっても色々な種類があります。昔からあるものとしては、公家装束の有職故実に従って平飾りされた「有職雛(ゆうそくひな)」、古風かつ宮中の華やいだ雅の世界の雛人形として有名な「内裏雛(だいりびな)」、京の人形司・雛屋次郎左衛門が考案し江戸の上流階級に好まれた「次郎左衛門雛(じろうざえもんびな)」、ふっくらとした可愛い子供のような顔の「おぼこ雛(おぼこびな)」、内裏雛の一種で江戸享保年間から流行り出した豪華な「享保雛(きょうほびな)」、高貴な貴族が和歌を詠む姿を表現した「歌仙雛(かせんびな)」、有職雛の影響を受けて江戸明和年間頃に人形司の腹船月が町雛として考案した「古今雛(こきんびな)」、白髪の人形で江戸時代から健康と長寿を祝ってきた「百歳(ももとせびな)」、天皇皇后両陛下の大礼の姿を模した立ち姿の「大礼雛(たいれびな)」などが有名です。最近では、平安京の朱雀大路の大内裏の宮城跡にある工房で作られている「朱雀大路 大極殿雛(すざくおおじ だいごくでんびな)」というのもあるそうです。

 

一般に京都で作られる雛人形を「京雛」、関東で作られる雛人形を「関東雛」と呼んでいます。京雛は目やや細めで、京頭といわれる独特のおっとりとした顔立ちであるのに対し、関東雛ははっきりした目鼻立ちをしています。また、飾り付けるときに、京雛では向かって右側が男雛であるのに対し、関東雛では向かって左側が男雛になります。

 

雛人形については、まだまだ語り尽くせぬところなので、次回もこの続きをお送りしたいと思います。

 

高見澤
 

おはようございます。昨日、後ろの席の同僚が「今年は空梅雨だね」と言った言葉が耳に入り、そう言えば梅雨に入ったものの大した雨も降らず、今年の夏は水不足に悩まされるのかなと思いきや、今日は比較的まとまった雨が降るようで、何となく安心した感があります。

 

さて、先ず「弥生」の年中行事と言えば何と言っても「上巳(じょうし)」、或いは「桃の節句」と言った方が分かり易いでしょうが、いわゆる「雛祭り」を思い浮かべる方がほとんどかと思います。上巳の節句は、以前紹介した「五節句」のうちの一つです。

 

この「上巳」という言葉の由来ですが、古来中国では旧暦3月上旬の「巳の日」を節日としていたことから「上巳」と言うようになり、それが三国時代の魏の時代に3月3日に固定されたと言われています。旧暦3月3日はちょうど桃の花が咲く季節なので、桃の節句とも呼ばれるのはご存知の通りですが、「3」が重なることから「重三(ちょうさん)」とも呼ばれることはご存じだったでしょうか。

 

古代中国では、上巳の日に水辺で禊(みそぎ)を行う風習がありました。この風習の始まりは紀元前の周公の時代、或いは秦の昭襄王の時代と言われていますが、いずれにせよ相当古い頃から行われていたようです。それが魏の時代に3月3日に固定されてから、禊とともに盃を水に流して宴を行うようになったとされています。これを「曲水の宴(きょくすいのうたげ)」と言います。この曲水の宴の風習が日本に伝わったのははっきりしていませんが、『日本書紀』によれば顕宗天皇元年(485年)3月に宮廷の儀式として行われたとの記述があるようですが、その真偽のほどはよく分かりません。実際には文武天皇5年(701年)以降に曲水の宴の記述が多くみられるようになったことから、奈良時代頃というのが有力な説のようです。

 

この中国での曲水の宴が日本に伝わり、それが日本の「祓い(はらい)」や「禊(みそぎ)」の思想と結びついて、身体の穢れ(けがれ)を人形に移し、それを舟に乗せて流すようになりました。これが「雛流し」の始まりです。

 

平安時代の頃は京の貴族階級の間で、天皇の御所を模した御殿や飾りつけで遊びながら健康や厄除を願って行われていた上巳の節句ですが、これが次第に武家社会に広まり、江戸時代には庶民の間で人形遊びとも結び付けられれ行事として行われるようになりました。今のように、雛壇に豪華な雛人形を飾るようになったのも江戸時代以降のことです。この上巳とともに旧暦5月5日の「端午の節供」も当初は男女の区別なく行われていたものですが、上巳の節句は女の子、端午の節供は男との子の行事と分けられるようになったのも江戸時代だったようです。

 

高見澤

 

おはようございます。梅雨に入り、本格的な夏ももう間もなくというのに、相変わらず朝晩は少し肌寒く感じるところですが、それでも着実に夏は近づいてきています。

 

さて、本日からはテーマを「弥生(やよい)」の年中行事に移しましょう。弥生とは、ご存知の通り旧暦3月の異称です。現在の新暦でも3月を弥生と言いますが、正式には旧暦3月のことを指します。というのも、その語源として、草木がいよいよと生い茂るという意味の「木草弥や生ひ(きくさいやおひ)」の「いやおひ」とする説が有力ですから、旧暦3月、すなわち新暦4月頃とした方が季節としては馴染むからです。この説は平安後期に藤原清輔によって書かれた歌学書『奥義抄(おうぎしょう)』や江戸時代中期に貝原益軒によって記された『日本釈名(にほんしゃくみょう)』に示されています。

 

もちろん異説として、正徳3年(1713年)に四時堂其諺(しじどうきげん)によって書かれた俳諧歳時記『滑稽雑談(こっけいぞうだん)』に見られる「ややおひ(漸生い)」説(植物が芽吹くこと)や「やまいろえひ(山色酔)」から転じたという説(山が単色から徐々に色付くこと)などもありますが、いずれも旧暦3月の光景です。

 

『日本書紀』では3月を「ヤヨヒ」と読ませているようですが、『古事記』や『万葉集』には使われていません。この「ヤヨヒ」が多く使われるようになるのは、平安時代になってからだと言われています。

 

やよひ三日は、うらうらとどのかに照りたる。桃の花の今咲き始むる。柳などをかしきこそさらなれ、それもまだまゆにこもりたるはをかし。広ごりたるはうたてぞ見ゆる。

おもしろく咲きたる桜を長く折りて、大きなる瓶(かめ)にさしたるこそをかしけれ。桜の直衣(なほし)に出袿(いだしうちき)して、まらうどにもあれ、御兄(せうと)の君(きん)たちにても、そこ近くゐて物などうち言ひたる、いとをかし。

 

お馴染み清少納言の『枕草子』にある一節です。この「やよひ」に「弥生」の漢字があてられたのがいつなのかははっきりしていません。

 

弥生は春の候ですから「花見月」や「桜月」とも言われています。ホトトギスを「弥生過鳥(やよいすごどり)」と呼ぶこともあれば、過ぎ行く春を惜しむ「弥生尽(やよいじん)」などの言葉もあります。また弥生3日を雛(ひな)の節句、すなわち「弥生の節句」と呼んだり、歌舞伎では弥生に上演する狂言を「弥生狂言」と呼んだりすることもあります。

旧暦3月は「晩春」であり、「季春」とも呼ばれます。季節的には一番過ごしやすい時期かもしれません。

 

高見澤

 

おはようございます。東京は今日も朝から雨、正に傘が手放せない梅雨真っ只中といったところです。今日も外出の予定があるのですが、何となく億劫になってしまいます。

 

さて、本日のテーマは「涅槃会(ねはんえ)」です。

「願わくば花の下にて春死なむ そのきさらぎの望月のころ」(『新古今和歌集』)は、桜をこよなく愛した西行法師が詠んだ歌ですが、「きさらぎの望月」というのは旧暦2月15日、今では3月末ころのちょうど桜の咲く季節です。この旧暦2月15日は、仏教寺院では釈迦が涅槃に入った日として、毎年「涅槃会」という法要が営まれています。まあ、実際に釈迦の入滅が何月何日だったかということは、今となっては誰も知る由のないことですが、南伝仏教では「ヴァイシャーカ」の満月の日(ウェーサーカ祭)、すなわちインド暦の第二の月の満月の日に釈迦が入滅したとされていることから、中国で旧暦2月15日と定められたとしたとのことです。

 

この涅槃会は、釈迦の誕生日とされる「降誕会〔こうたんえ、『灌仏会(かんぶつえ)』とも呼ばれる〕」(4月8日)、釈迦が悟りを開いたとされる「成道会(じょうどうえ)」(12月8日)とともに「三仏忌(さんぶつき)」または「三仏会(さんぶつえ)」と呼ばれています。涅槃会の日に各寺院では、涅槃図を掲げ「遺道経」を読誦して釈迦の遺徳を追慕奉賛するわけですが...。この行事が日本に伝わったのは推古天皇の時代、奈良の元興寺で行われたのが最初(貞観2年:860年)だと言われています。

 

旧暦2月15日頃は、穏やかな西風が吹くことから、その風を「涅槃西風(ねはんにし)」などと呼ばれます。季節的にはとても過ごしやすい時期です。江戸時代には、こうした爽やかな風を受けながら、寺院で行われる涅槃会の読誦の声が聞こえていたのかもしれません。

 

高見澤

 

おはようございます。大分ご無沙汰しておりました。業務多忙につき、瓦版も中々更新できず、ご理解賜れば幸いです。

関東も梅雨に入り、雨の日が少しずつ増えてきていますが、朝晩は比較的涼しく、過ごしやすい日が続いています。

 

さて、本日のテーマは「上元(じょうげん)」です。本来であれば睦月の行事として紹介すればよかったのですが、私もうっかりして忘れていましたので、ここだけは新暦如月の行事として紹介しておきたいと思います。

 

以前、本メルマガで小正月の説明をしたことがありました。旧暦1月15日のことですが、新暦では2月上旬から3月上旬頃に当ります。その際、小正月の朝に小豆粥を食べる習慣があることも併せて紹介しました。『東都歳時記』に「上元御祝儀、貴賤今朝小豆粥を食す」とあるように、まさにこの「上元」とは小正月を指し、江戸時代にこの習慣が始まりました。

 

この「上元」の日に加え、「中元(ちゅうげん)」、「下元(かげん)」の日を合わせて「三元(さんげん)」と呼びます。元々は中国から伝わってきたもので、道教の行事として、上元の日には飾り灯篭を灯したり、花火を打ち上げたり、団子(元宵、団圓)を食べたりする習慣が今でもあります。上元が旧暦の1月15日、中元は旧暦の7月15日(新暦8月上旬~9月上旬)、下元は旧暦の1015日(11月上旬~12月上旬)です。「お中元」の季節というのは、この三元のうちの中元に由来するものです。

 

『守貞謾稿』には、「正月十五日、十六日 俗に小正月と云ふ 元日と同じく、戸をとざす。また、三都ともに、今朝(十五日)赤小豆粥を食す。京坂は此のかゆにいささか塩を加ふ。江戸は、平日かゆを食せざる故に粥を好まざる者多く、今朝のかゆに専ら白砂糖をかけて食すなり。塩は加へず。また今日の粥を余し蓄へて、正月十八日に食す。俗に十八粥と云ふ。京坂には、このことこれなし」とあります。

 

江戸では粥を食す習慣がなかったので、白砂糖をかけて食べ、京都や大坂では塩を入れた食べていたようです。現在の日本人は塩味にすることが多いように思われますが、皆さんは粥をどのようにして食べますか?ちなみに、中国では味付けはしません。ザーサイなどの漬物やつくだ煮のような味の濃いおかずと一緒に食べるのが一般的です。

 

旧暦十五日の月は満月、すなわち新月の「朔(さく)」に対して「望(ぼう)」と呼びます。ですから小豆粥を「望粥」とも呼びます。また望は「もち」とも読み、「餅」に通ずることから「餅粥」ともいい、小豆粥に餅を入れることもあります。小豆に餅といえば、お汁粉を思い浮かべる人もいるかと思います。また、江戸では粥に砂糖を入れることから、この小豆粥がお汁粉の原型かとも思いますが、どうやらお汁粉とは別のもののようです。

 

川柳に「七草は源氏、平家は十五日」というのがあり、人日(1月7日)に白い七草粥を食べるのに対して、上元(1月15日)には赤い小豆粥を食べる習慣になっていたことを喩えて詠んだものです。源氏の旗印は白旗、平家の旗印は赤旗だったことを知っているからこそ、庶民の間でもこうした川柳の洒落が通じたのです。江戸の人々の教養の高さに、改めて驚かされる次第です。

 

高見澤

 

東藝術倶楽部瓦版

 

おはようございます。昨日、都心では午後1時半頃に1時間に70ミリの大雨が降りました。昼を挟んで外出したのですが、午前中は晴れていたので傘を持っておらず、外出先でどうしようかと迷っていたのですが、何と打合せ中に雨はすっかり止んでしまいました。熱帯雨林を想起させるような突然の豪雨も、スコールのように一瞬の出来事でした。世間で騒がれている地球温暖化の原理は大いに疑問の残るところですが、着実に異常気象が起きているのはまぎれもない事実です。

 

さて、本日のテーマは「針供養」です。この針供養というのは、折れた針を供養し、裁縫の上達を願う行事として知られています。針は着物の時代の大切な道具の一つでした。この針供養の行事が広まったのもまた江戸時代のことです。昔から、針仕事は女性にとってとても大事な仕事であったことは、皆さんよくご存じのことでしょう。ですから、この針供養の日には、針仕事を休んで、お世話になった針を、感謝の気持ちを込めて、柔らかい豆腐やコンニャクに刺し、川に流したり、神社に納めたりして、裁縫の上達を願ったということです。

 

この針供養ですが、一般に関東では旧暦2月8日、関西では旧暦12月8日に行われていました。古来日本では、この両日を「事八日(ことようか)」と呼び、「事始め」と「事納め」の日とされてきました。次の年を司る「年神様」を迎えるための正月の準備を始めるのが12月8日、すなわち「事始め」になり、年越しの「神事」が始まる日になります。そして後片付けなどすべてを納める日が2月8日、すなわち「事納め」になります。

 

こうして神様に関する一連の「事」が終わると、春を迎えて田畑を耕す時期となり、人々の生活が始まります。この人の日常生活が始まる日が「神事」の「事納め」になるのと同時に、人の「事始め」になるというわけです。そして人の「事納め」が12月8日の「神事」の「事始め」の日に当たることになります。旧暦2月8日は、今では3月中旬になりますので、まさに農作業が始まるころですね。このように、神様を迎える「神事」と、人が行う日常の期間に分けられ、それぞれ一方の始まりはもう一方の終わりの日になるわけです。

 

この「事始め」と「事納め」の日は、昔からさまざまな行事が執り行われてきました。中国の古い習わしに「社日(しゃにち)に針線を止む」という風習があります。生まれた土地の守護神を守る日に針仕事を休むということですが、これが江戸時代に日本に入ってきて、「事八日」の風習、更には淡路信仰と結びついて「針供養」が生まれたというのが定説になっています。淡路信仰というのは、和歌山県海草郡加太町にある淡路神社の祭神が「婆利才女(はりさいじょ)」であることに由来します。

 

針供養に豆腐が使われるのは、豆腐のように色白の美人になるようにとか、柔らかい気持ちになれるようにとか、あるいはまめ(豆)に働くことが大事(大豆)とか、豆腐は刺されても「痛い」と言わないから、我慢強くなることを願ったとか、諸説ありますが、その由来はよく分かりません。

 

いずれにせよ、モノを大切にした江戸時代の人々の気持ちが現れている行事の一つであると言えましょう。われわれも「物神様」を大切にしたいものです。

 

高見澤

 

おはようございます。東京都心では、今朝方降っていた雨も止み、空が明るくなりはじめています。6月に入り、梅雨に向かって不安定な天気が続くかもしれません。

 

さて、本日のテーマは「初午(はつうま)」です。初午は、旧暦2月初めの「午の日」のことを指します。毎年この日には、全国各地の稲荷神社で、「正一位稲荷大明神」という幟を立てて、狐の大好物である油揚げや赤飯などを供えて盛大に初午祭が行われます。

 

稲荷神社は日本全国に約4万社あり、豊作、商売繁盛、家内安全にご利益があるとされています。稲荷神社の総本山は、京都市伏見区にある伏見稲荷大社です。和同4年(711年)2月の最初の午の日(2月11日)に、伏見稲荷の祭神である宇迦御霊神(ウカノミタマ)が伊奈利山(稲荷山)の三箇峰に降りたとされる故事から、毎年2月の初午の日に、稲荷神を祭る祭事が行われるようになったとされています。

 

「稲荷」の語源は「稲生り」と言われており、もともと宇迦御霊神は五穀豊穣をもたらす農耕の神です。「ウカ」とは、穀物や食物のことを指すそうです。稲荷信仰が狐と結びついたのは、江戸時代とされています。なぜ狐なのかは分かりませんが、狐が稲荷神の使いとされ、狐の大好物である油揚げが供えられるようになっています。この日は狐ばかりがもてはやされ、狸が蚊帳の外に置かれていることから、他人がもてはやされて自分が相手にされないことを「初午の狸」などとも言われます。

 

ウマにちなんで、農耕馬の祭日としたり、養蚕信仰と結びついて繭型の初午団子を供える地方もあります。江戸時代にはこの日に子供を寺子屋に入門させるなど、習い事を始める習慣があったようです。

 

本来の初午は旧暦2月ですが、現在では新暦の2月とされています。初午以外に、十二支にちなんで「初」のつく日としては、以下のものがあります。

 

初子(はつね):正月または11月の最初の子の日
正月最初の子の日には、野に出て小松引きや若菜摘みなどの子の日遊びが行われ、11月最初の子の日には、商家では大黒天を祀った。

 

初丑(はつうし):夏の土用のうちの最初の丑の日
鰻を食べたり、丑湯に入ったりする風習。

 

初寅(はつとら):正月最初の寅の日
福徳を願って毘沙門天に参詣する風習。

 

初卯(はつう):正月最初の卯の日
初卯詣が行われる。

 

初辰(はつたつ):正月最初の辰の日
防災のまじないをする日。大阪の住吉大社では、月の初めの辰の日に「初辰まいり」を行い、48回で四十八辰、すなわち始終発達するとされる。

 

初巳(はつみ):正月最初の巳の日
弁財天に参詣する風習。

 

初申(はつさる):旧暦2月の最初の申の日
奈良の春日神社の祭典が行われる。

 

初酉(はつとり):正月または11月の最初の酉の日
浅草鷲神社の祭礼。酉の市も各所で開かれる。

 

初亥(はつい):正月最初の亥の日
摩利支天(まりしてん)の縁日。

 

テレビでも、「初午大感謝祭」などと安売りのコマーシャルを見たことがります。商売繁盛、家内安全は昔から変わらぬ人々の願いなのかもしれませんね。

 

高見澤

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