おはようございます。梅雨も明け、ここ東京ではすっかり夏の暑さが定着した感がありますが、東北秋田県では記録的な大雨で被害が拡大しています。二酸化炭素など温室効果ガスの影響かどうかは分かりませんが、気候変動による異常気象が続いていることは間違いありません。原因を取り違えて誤った対策をとっていると、効果がないどころか、却って事態を重くしてしまうので、異常気象の本当の原因を、政治的にではなく科学的に解明することが大事です。
さて、本日は卯月の年中行事として「灌仏会(かんぶつえ)」をテーマに紹介したいと思います。この灌仏会とは、以前本ブログでも紹介した「涅槃会」のところで説明した「三仏忌(三仏会)」の一つで、「降誕会(こうたんえ)」、「仏生会(ぶっしょうえ)」、「浴仏会(よくぶつえ)」などとも呼ばれています。つまり、釈迦が生まれた日とされ、旧暦4月8日がこの灌仏会となっています。実際に釈迦が生まれた誕生年はBC463年、BC566年、BC624年など諸説あって不明(五井野正博士は『法華三部経大系(総論)』の中で、釈迦入滅の年を周穆王53年壬申、すなわちBC949年としているので、その誕生はBC1000年以前とみるのが正しいものと思われます)ですが、月日についてはなぜか4月8日、または2月8日とされています。現在では、東京など関東では新暦の4月8日、関西では5月8日に行われることが多いようです。
灌仏会がインドから中国を経由して日本に入ってきたのは推古天皇14年(606年)という説もありますが、仁明天皇の時代(833~850年)というのが有力です。かつてインドでは、この日を聖日として、釈迦の童形をかざって楽を演奏し、香華を焚き、香水で沐浴灌洗する灌仏の儀式が行われ、中国でも盛んに行われていたようです。
「灌仏や皺手合せする数珠の音」(芭蕉)。今では「花祭り」とも呼ばれていますが、これは明治34年(1901年)以降のことです。寺院で行われる灌仏会では、花で飾った御堂(花御堂)をつくり、誕生仏を浴仏盆と呼ぶ水盆に安置し、竹の柄杓で甘茶を注いでお参りをします。甘茶をかけるようになったのは江戸時代からだそうで、釈迦誕生のとき、九つの龍が天から清浄の水を注ぎ、産湯を使わせたという伝説によるものです。甘茶とは、ユキノシタ科のアマチャやウリ科のアマチャヅルを煎じた飲み物です。元々正式には五種の香水を用いるようで、これを「五香水」または「五色水」と言います。また、戦前は稚児行列、舞踏、礼讃の歌など子供中心の祭礼でもあったようで、「花祭り」と言った方が分かりやすかったのかもしれません。
一方、もともと日本には4月8日頃に山に登り花を摘み(花見)、農耕開始にあたって作神を迎えて豊作を祈願する風習がありました。これが灌仏会の儀式と融合して、今の花祭りの形になったのでしょうか。
高見澤