東藝術倶楽部瓦版 20170728 :凡そ学にては、春は官其の先師に釈奠す-釈奠

 

おはようございます。ここ東京では連日蒸し暑い日が続きます。度重なる化学物質、重金属、放射能などの汚染により、現代人の抵抗力が落ちていますので、体調管理にはお気を付けください。私もほとんど休みが取れず、疲れが溜まっています。

 

中国の四書五経の一つ『礼記』「文王世子」篇に「凡そ学にては、春は官其の先師に釈奠(しゃくてん)す、秋冬も亦たこのごとくす。凡そ始めて学を立つる者は、必ず先聖・先師に釈奠す(凡学春官釈奠于其先師秋冬亦如之凡始立学者必釈奠于先聖先師)」という一文があります。本日のテーマはここに出てくる「釈奠」についてお話ししたいと思います。

 

「釈奠」とは、古代中国で、食物や酒を捧げて先聖、先師を祀る祭礼のことで、「しゃくてん」、「せきてん」、「さくてん」などと呼ばれます。先聖、先師とは、周公、孔子とする説や、孔子、顔回(孔子の弟子)とする説がありますが、後漢の明帝(在位西暦5775年)以降は儒教の祖である孔子を祀ることが一般化しています。「釈」も「奠」も「置く」という意味で、それから先聖、先師に供物を捧げるということで「釈奠」と呼ばれるようになったそうです。同じような言葉に「釈菜(せきさい)」という言葉もあります。

 

中国の北斉の時代(550577年)に春秋の二仲制春秋二仲が確立されて、釈奠は春と秋の真ん中の月である2月と8月に開催されるようになります。中国では時代によって栄枯盛衰があり、元(12711368年)までは盛んに行われていたようですが、明の時代(13681644年)には衰退、清(16441912年)になって復活し、その後は衰退したままになっています。

 

この釈奠が日本で最初に行われたとの記録は、飛鳥時代末期の大宝元年2月14日(701年3月27日)です(『続日本紀』)。大宝律令学令に、大学寮及び国学において、毎年春秋二仲の上丁(上旬の「ひのと」の日)に先聖孔宣父(孔子)を釈奠することが定められました。このため、「孔子祭」、「聖廟忌」、「おきまつり」とも呼ばれます。

 

これ以降、毎年2月と8月の上旬の「丁(ひのと)」の日に行われるようになり日食などと重なると、中(中旬)の丁の日に行われました。この釈奠の儀式は、室町時代には一旦廃れましたが、江戸時代に復興されました。江戸時代に、徳川将軍家が朱子学を重んじるようになり、尾張藩の支援を受けた林道春によって、寛永10年(1633年)2月10日に忍岡聖堂で初めての釈奠が行われ、それ以降、林家主導の下で釈奠の儀式が続けられていきます。元禄4年(1691年)には幕府によって湯島聖堂が完成し、幕府主導による釈奠が行われるようになりました。徳川綱吉の死後、新井白石などの影響により、釈奠の儀式が大きく縮小されることもありましたが、何らかの形で幕末まで続きました。明治以降、教育勅語等の普及により、公的機関の主導による釈奠は各地で廃止されるようになりましたが、孔子廟が残された地域では、有志による釈奠が再興され、続けらているところもあります。

 

え!、卯月の年中行事でどうして2月、8月に行われていた「釈奠」がテーマとして選ばれたのかって? 実は、今の日本で最も有名な湯島聖堂(東京都文京区湯島)での釈奠が毎年4月第4日曜日に行われているからです。湯島聖堂でも明治維新によって一旦は途絶えていましたが、明治40年(1907年)に有志によって孔子祭典会が創設され、釈奠が復活されました。その後再編などもあり、大正9年(1920年)を第1回として現在まで続いているそうです。湯島聖堂の他にも、栃木の足利学校では毎年1123日に行われています。

 

高見澤