おはようございます。東京は今日も朝から汗がにじみ出るような暑さを感じています。日本各地では豪雨による被害も続出、東京も他人ごとではありません。一般的な日本の都市での雨の吸収能力は1時間に50ミリと言われていますが、この程度の雨は毎年何回も経験しています。早急なる対策が必要ですね。
さて、本日からは「卯月」の年中行事に移りたいと思います。卯月とは旧暦4月のことを指し、新暦4月は春真っ盛りですが、旧暦4月は既に夏に入る季節となります。古来、宮中では4月1日が「更衣の日(ころもがえのひ)」としていたようです。
平安時代の歌学書である『奥義抄』に、「うの花さかりにひらくゆゑに、うの花づきといふをあやまれり」という箇所があり、また『万葉集』にも、大伴家持が天平20年(748年)4月1日に詠んだとされる「卯の花の咲く月立ちぬほととぎす、来鳴き響(とよ)めよ含(ふふ)みたりとも」という歌が掲載されています。こうしたことから、「卯の花月」が略されて「卯月」となったというのが、卯月の由来の定説になっています。
「卯の花」とは、ユキノシタ科の落葉低木である「空木(うつぎ)」の花のことで、季節としては旧暦5~6月頃に白い小さな花を咲かせます。先の歌をみれば、一面の緑に白く咲く卯の花の姿は初夏の花として相応しいようにも思えます。
しかし、同じ『万葉集』に「五月山(さつきやま)卯の花月夜(つくよ)ほととぎす、聞けども飽かずまた鳴かぬかも」、「時じくの玉をそ貫ける卯の花の五月を待たば久しかるべみ」といった歌も見え、旧暦4月の花とするには無理があるようにも思えます。このため、新井白石などは、定説とは逆に旧暦4月頃に咲く花だから「卯の花」というのであって、卯の花が咲くから「卯月」とするのではないと主張しています(『東雅』)。
この他にも、江戸時代の国学者・谷川士清(たにがわことすが)の「種月(うえづき)」とする説や高内真足(たかうちまたり)の「田植苗月(たうなえづき)」を語源とする説などもあります。
高見澤