おはようございます。時の過ぎるのも速いもので、今年ももう8月。夏が過ぎればあっという間に年末といった感じでしょうか。この地球における時間の観念の不思議さに、何となく違和感を感じるのは私だけでしょうか?時間も空間ももっと自由なものであって良いのではないかと...、あまりにも地球人は時間と空間に縛られ過ぎているのではないかと...。今、本メルマガで「江戸の暦」を題材に取り上げている意味を少しでもご理解いただければと思います。
さて、本日のテーマは「十三参り(十三詣り)」です。十三参りとは、旧暦3月13日(新暦では4月13日前後になるので卯月の年中行事で紹介)に、男女とも数えで13歳のお祝いをする行事で、子供の成長や幸福を祈って行われるものです。主に関西、特に京都に伝わる習慣でしたが、江戸時代以降、関東や東北など全国に広まっていきました。
子供の成長を祝う行事としては「七五三」がよく知られていますが、この十三参りはもう少し成長してからのものです。数え13歳と言えば、生まれの干支がちょうど一回りして初めて回ってくる年になります。古来日本においては、この頃は子供が心身ともに子供から大人に変化するという重要な節目の歳とされ、また、女の子にとっては初めての厄年に当り、厄落としとしての役割もあったようで、いずれにせよ、男女ともに成人式の意味合いがあったようです。
十三参りは、13歳になった男女が「虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)」にお詣りし、福徳と知恵を授かる、という願いが込められています。十三参りの帰り道では、後ろを振り返ると、虚空蔵菩薩から授かった知恵を返すことになるので、決して振り返ってはならないという決まりがあります。
虚空蔵菩薩については、一般に、広大な宇宙のような無限の智恵と慈悲を持った菩薩で、丑・寅年生まれの守り本尊であると共に、十三回の追善供養を司る十三仏の最後の三十三回忌の本尊とされています。虚空蔵菩薩について、五井野正博士は『法華三部経体系(総論)』の中で「大乗経典の文字一つ一つを理解するには文殊菩薩を超えなければならない」として、「文殊菩薩を超える者は虚空蔵菩薩」と述べておられます。「文殊の智恵」を超える「虚空蔵の智恵」とはどのような世界なのでしょうか、想像もつきません。
空海が19歳の時、「虚空蔵求聞持法(こくうぞうぐもんじほう)」を修すると、飛躍的に記憶力が増したという逸話から、虚空蔵菩薩を参拝するようになったとのことです。虚空蔵求聞持法とは、虚空蔵菩薩の真言を100万回唱える修法ですが、末法のそのまた末法である現代ではどこまで意味があるのかは分かりません。
一方、平安時代、幼くして天皇になった清和天皇(850~881年)が京都嵐山の法輪寺において、成人の証として「勅願法要」を催したのが、清和天皇数え13歳の時であったことから、数え13歳で十三参りをするようになったとも言われています。
清和天皇と言えば、そこから清和源氏という武家の棟梁の流れが生まれます。武家社会においては、男子の成人を示す儀式として、奈良時代以降、元服式が行われていました。元服式は数え15歳で行うのが一般的でしたが、江戸時代に入ると儀式の簡略化が進みます。半元服を行ってから本元服を行うということも行われ、この半元服が数え13歳でした。一方、女の子は数え13歳で「髪上げの儀式」というものが行われ、それまで長く伸ばし垂れていた髪を結い上げる儀式が、平安時代から行われていました。
十三参りが行われている主な寺院としては、京都「法輪寺」、大阪「太平寺」、東京「浅草寺」、茨城「虚空蔵堂」、福島「福満虚空蔵菩薩圓臧寺」などがあります。法輪寺では秋の十三参りというのもあるそうです。
高見澤