おはようございます。蒸し暑い日が続いていますが、今朝は比較的涼しい感じのする東京都心です。最近特に頻繁になった北朝鮮のミサイル発射、比較的安定していたここ東アジア地域も急速に緊張が高まっていますが、まあ日本のテレビを見ていると、何とも危機感がまったく感じられない番組ばかりが流れています。世の中の動きがまったく見えていないのか、それとも敢えて見ようとしていないのか、何ともお目出度い人たちだな感じるのは私だけでしょうか...
「時は今、雨が下しる、五月哉」。天正10年6月2日(1582年6月21日)早朝、家臣明智光秀の謀判によって、織田信長が京都本能寺にて襲撃された「本能寺の変」。先の句は、その9日前の5月24日に京都愛宕神社で催された連歌の会で、光秀が信長を襲う意思を示したものであるとされています。
ということで、本日のテーマは「皐月(さつき)」です。「暇(いとま)なみ、五月をすらに、我妹子(わぎもこ)が、花橘(はなたちばな)を、見ずか過ぎなむ」〔『万葉集』高安王(たかやすのおおきみ)〕など、『万葉集』には「さつき」が出てくる歌が9首ほどあり、昔から人々が皐月を如何に愛していたが分かります。
皐月、すなわち旧暦五月は梅雨の季節であり、もともと「五月晴れ」や「五月空」というのは、今でいうゴールデンウイーク等の行楽日和のことではなく、梅雨の間の晴れの日、或いは梅雨明けの晴天の日のことを指していたようです。
旧暦五月になると、あちらこちらの農村では田植えが盛りを迎えます。「さつき」の語源はいずれも田植えに関係ている点は諸説同じですが、その読み方は、「早苗(さなえ)を植える月」、すなわち「早苗月(さなえづき)」が略されて「さつき」なったという説が有力です(『奥義抄』、『二中歴』)。『万葉集』や『日本書紀』などでは、「五月」を「さつき」と訓ませています。「さつき」に「皐月」や「早月」といった字をあてるようになったのは後世のことだそうです。
尚、花の「サツキ(サツキツツジ)」は旧暦5月に咲くことからつけられた名前で、月名の語源ではないそうです。次回からは皐月の年中行事について順次紹介していきたいと思います。
高見澤