東藝術倶楽部瓦版 20170822:「夏四月丁卯朔辛卯」は「時の記念日」

 

おはようございます。先週金曜日18日、昨日月曜日21日と休暇を取得し、4連休とさせていただきました。18日は頼まれていた原稿を仕上げ、土日は入院している父親の見舞いを兼ねて長野の実家に戻り、昨日は身体の調子が悪かったので病院で検査と、結局のんびりできずじまいでした。検査の結果は少し鼻の中があれているのが原因で、喉の調子が悪くなっているとのことで、これだけ無理して仕事をしていても大した病気にもならない自分の身体の丈夫さに改めて驚いています。正直、疲れは溜まっている感じはしていますが...

 

さて、6月といえば、唯一国民の祝日が無い月として知られています。私が子供の時には6月のほかにも7月、8月、12月には祝日がなかったのですが、平成元年(1989年)に1223日が天皇誕生日となり、平成8年(1996年)からは7月第3月曜日(施行当初は7月20日)が「海の日」、平成28年(2016年)には8月11日を「山の日」として祝日が設けられて、残すは6月のみとなった訳です。

 

では、仮に6月に祝日を設けるとすると、何の日がその候補になると思いますか? その答えとして、一番多いのが6月10日の「時の記念日」ではないでしょうか。

 

『日本書紀』によると、天智天皇10年(671年)に「夏四月丁卯朔辛卯、置漏剋於新臺、始打候時動鍾鼓、始用漏剋。此漏剋者、天皇爲皇太子時、始親所製造也、云々。是月、筑紫言、八足之鹿生而卽死」という記載があります。この意味は、「夏4月25日(旧暦)、漏刻(水時計)を新しい台に置き、初めて時刻を知らせる鐘や鼓を鳴らして候時(とき)を打ち、初めて漏刻を使った。この漏刻は天皇が皇太子になった時に、初めて自ら製作したもの、云々。この月、筑紫国が言うことには、八本の足がある鹿が生まれ、すぐに死んだ」ということで、これが日本における時を知らせる時報の始まりと言われています。

 

この「夏四月丁卯朔辛卯」というのが当時の4月25日で、現行の暦に計算し直すと6月10日になります。そこで、大正9年(1920年)に、時間を尊重・厳守し、生活の改善や合理化を進めることを目的に、生活改善同盟会が提唱して、6月10日を「時の記念日」とすることが定められました。

 

一方、同じく『日本書紀』の斉明天皇6年(660年)に、「夏五月辛丑朔戊申、高麗使人乙相賀取文等、到難波館。是月、有司、奉勅造一百高座・一百衲袈裟、設仁王般若之會。又、皇太子初造漏剋、使民知時」とあります。ここの意味は、「夏5月8日、高麗の使者の乙相賀取文(オツソウガスモン)らが難波館(ナニワノムロツミ)に到着。この月、有司(ツカサ:役人)は勅(みことのり)を受け賜り、100の高座、100の納袈裟(のうけさ:僧の法衣)を作り、仁王般若の会を設けた。また皇太子は初めて漏刻を作り、民に時を知らせた」ということです。

 

つまり、天智天皇10年の11年前の斉明天皇6年には、既に天智天皇が皇太子時代に漏刻を製作していたことになります。天智天皇10年4月25日(新暦6月10日)は「於新臺(新しい台に置き)」とあることから、飛鳥から大津の都に移したことを記したものとの解釈もあるようです。

 

戦後の昭和22年(1947年)から、東京時計組合による「時計感謝祭」が行われています。東京の神田明神で古い時計を炊きあげ供養しています。時間に対する認識を新たにし、時間を大切にすることが求められているのかもしれません。時間というものの不可思議さを、改めて感じてみては如何でしょうか?

高見澤

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このページは、東藝術倶楽部広報が2017年8月22日 09:56に書いたブログ記事です。

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