おはようございます。今日から9月、今朝の都心は比較的涼しく、暑がりの私としては半袖ワイシャツ姿でも快適に出勤してくることができました。でも、気候の変化は農家にとっては農作物の出来に大きく影響するので、気になるところです。田舎の稲も大分育っていましたが、もう一段の暑さが必要かもしれません。
さて、本日のテーマは「田植え」です。田植えといえば、今は5月に行われるところが多いのですが、昔は梅雨の時期(芒種の頃)、6月に集中して行われており、夏の風物詩の一つでした。今では、多くの稲作農家は田植え機を使って稲を植えていますが、私の子供の頃は、家族や親族、近所の人が集まって順番にそれぞれの家の田んぼで田植えを行ったものです。
この田植えですが、かつては農耕儀礼の中でも最も重要なものとして、「田植え祭(田の神の祭)」が行われていました。現在でも、寺社や皇室では「御田植祭(おたうえまつり)」として、それぞれの領田(御田)で行われ、豊作を祈念する神事の一つとなっています。御田植祭は実際に田植えをしますが、稲作の全過程を模す場合は、御田祭(おんださい)と呼ばれます。
この田植えの祭りは地域によってやり方が様々ですが、早苗の根を洗い清めて三束にして「三把の苗」を作り、榊や御幣(ごへい)のように神のよりまし(神が宿るところ)とする点は、どこの田植え祭りにも共通しているようで、その三把の苗を神前に供えて、豊作を祈ります。
田植えに先立ち、田の神をお迎えする「さおり(早降り)」と呼ばれる儀式が行われます。早朝から、ハレの装束を身に着けた田植え組の人たちが田の神を拝みます。それから、笛や太鼓、鉦(かね)、簓(ささら)等の楽器が奏でるお囃子に合わせて田植え唄を歌いながら苗を植えて行きます。実際に田んぼに入り田植えをするのが「早乙女(さおとめ)」と呼ばれる女性たちです。忌みごもりをして身を清めた早乙女が一列に並んで早苗を本田に植えて行きます。揃いの新しい仕事着に笠、襷(たすき)といういでたちで、昼には田の神と一緒にご馳走を食べる「神人共食(しんじんきょうしょく)」が行われます。こうしてその日の夕方までには一軒分の田植えを終わらせるのが一般的でした。
田植えが全て終わると、田の神を送る「さのぼり(早上り)」、「さなぶり(早苗響)」、「しろみて(代満て)」と呼ばれる行事が行われます。「さおり」と同じように、神棚に洗い清めた三把の苗をお供えし、農具を飾り、赤飯を炊いたり、餅を搗いたりしてお祝いをします。田植えに参加した人たちを集めて、早乙女を上座に据えて祝宴が行われます。家々の田植えが終わった後に行われるのが「家さなぶり」、村全体が終わった後に行われるのが「村さなぶり」ということになります。
「早乙女に仕形望まんしのぶ摺(すり)」松尾芭蕉『曾良書留』
古来、「さ(早)」には田の神を指す意味があり、「さおり」は田の神が降りて来る、逆に「さのぼり」は田の神が昇るということだったのでしょう。「さなぶり」は「さのぼり」が訛ったもので、「早苗響」は当て字です。「しろみて」の「しろ」は植える意味で、「みて」は完了するという意味のようです。ですから「植完了」とも書かれますが、苗代が満つるということで「代満て」と表した方が何となく情緒が感じらせませんか?
田植えに際して行われる神事の中で行われるこうしたお囃子や踊りが、いつの間にか芸能化して「田楽」となり、そこから「猿楽」や「能」などの文芸に発展していったのではないかと考えられています。
五穀豊穣を祈る行事や祭りは、田植えの他にも、春には米作りに欠かせない豊富な供水を祈る「水口祭り(みなぐちまつり)」や「雨乞い祭り」、夏には害虫対策として「虫封じ」や「虫送り」を行い、お盆が過ぎる頃は台風から逃れられるようにと「風袋様(かざぶくろさま)」を掲げ、稲刈りが終わると稲を守ってくれた案山子に感謝する「かかしあげ(案山子揚げ、案山子上げ)」や「とうかんや(十日夜)」などの収穫祭などが各地で行われています。
米は日本人にとって欠かせない食べ物です。そして稲作は日本に最も適した作物の一つだといえます。田舎から送られてくる米の美味さを知れば、外食の米はもう食べられません。自然の恵みに感謝を忘れず、自然を冒涜するような工業製品化した食物モドキ中心の食生活から脱却したいものです。
高見澤