東藝術倶楽部瓦版 20170904:あらたまの年の緒長く思い来し恋をつくさむ七月の七日の夕は吾も悲しも-文月の語源

 

おはようございます。今朝の東京は曇り、9月に入って大分涼しくなりました。このまま暑さが戻らないと、作物の生育に影響が出るのではないかと心配なところです。昨日も北朝鮮が地下核実験を行ったようですが、こうした自然を無視した行為が、地球の至るところで異常現象を招いていることに、いつになったら愚かな地球人たちは気付くのでしょうか?

 

さて、本日からは7月の年中行事に移りたいと思います。7月の和風月名は「文月」と表記し、「ふづき」、或いは「ふみづき」と読みます。『日本書紀』には「欽明元年秋七月丙子朔己丑」を「きんめいがんねんあきふづきのひのえねのついたちつちのとうしのひ」と読ませており、「七月」を「ふづき」と表現しています。一方、『万葉集』には「あらたまの年の緒長く思い来し恋をつくさむ七月(ふみつき)の七日の夕(よひ)は吾も悲しも」という歌があり、ここでは「ふみつき」と表現しています。

 

「文月」の語源については、季節的に稲穂が出る時期ということで「ホミ(穂見)月」、「フフミ(含み:つぼみを持つ意)月」など、稲作に関連付けた説があり、秋風の立つ月という意味の「フミ(風微)月」に由来するという説もあります。

 

また、7月7日の七夕の行事の際に、詩歌の文(ふみ)を牽牛・織女の二星に献じたり、書物を開いて夜気にさらして虫干しする風習があったので「文月」になったとの説もあります。しかし、七夕の行事は奈良時代の養老年間(717年~724年)に中国からもたらされたもので、もともと日本にはなかった風習であることから、やはり上記の水稲耕作を語源とする方が有力とされています。

 

後世7月に「文月」の字があてられたのは、『万葉集』に七夕を詠んだ歌が載せられていることから、それが編纂された時代からあったものと思われます。七夕については、改めて紹介していきたいと思います。

 

高見澤

2021年1月

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このページは、東藝術倶楽部広報が2017年9月 4日 10:26に書いたブログ記事です。

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