東藝術倶楽部瓦版 20170907:雷に小屋は焼かれて瓜の花ー夏の風物詩「雷」

 

おはようございます。昨日の雨もあがったものの、依然として空は雲に覆われている今朝の東京です。ここ最近涼しさが続いていたのですが、今日は少し蒸し暑くなるとの予報です。季節の変わり目、体調を崩す人も出てきているので、注意が必要です。

 

さて最近は天候が不安定で、日本各地で落雷の被害なども出ているようです。そこで、本日のテーマは「雷」を取り扱いたいと思います。

 

「雷に小屋は焼かれて瓜の花」

お馴染み与謝蕪村〔享保元年(1716年)~天明3年(1784年)〕の句です。雷も瓜の花も夏の季語です。雷自体は夏の風物詩の一つですが、「春雷」は春の季語、「稲妻」は秋の季語、「寒雷」は冬の季語と、一言「雷」といっても季節はバラエティに富んでいます。

 

二十四節気のうちの6月の節気である小暑の頃、すなわち新暦7月7日頃が平年ならば梅雨明けになることが多いようです。梅雨前線の動きが活発化して、局地的に集中豪雨をもたらしたり、落雷が発生したりします。これがいわゆる「梅雨明けの雷」です。一方、梅雨前線が日本列島から離れて停滞する年は「空梅雨」となり、水不足が深刻になります。

 

この雷ですが、一般には「電気を帯びた雲と雲の間、或いは雲と地上との間で起こる放電現象」という定義で、発達した積乱雲の中で発生し、雷光、雷鳴、強い雨を伴った現象です。これもまたプラズマ現象の一つです。雷の発生原理については、研究が続けられていて諸説あるようですが、正確にはまだ解明されていません。上空と地面、或いは上空の雷雲内に電位差が生じて放電が起きたときに雷が発生するらしいのですが、なぜ電位差が生じるのかは、これもまた諸説あって正確には分かっていません。

 

この「雷」という字は「かみなり」、或いは「いかずち」とも読みます。「かみなり」は「神鳴り」に通じ、「いかずち」は「厳(いか)つ霊(ち)」に通じます。シュメールの「イシュクル」、アカッドの「アダト」、ウガリットの「ハッドゥ」、古代エジプトの「バアル」、ヴェーダの「インドラ」、ギリシャ神話の「ゼウス」、ローマ神話の「ユーピテル」、北欧神話の「トール」、中国の「雷公」など世界各地の神話に雷の神が出てきますが、もちろん日本でも「雷神」の名で知られていることはご存知かと思います。

 

「雷神」もまた「らいじん」、「いかずちのかみ」と読まれ、古来民間信仰や神道における雷の神として崇められてきています。『古事記』では、火之迦具土神(ひのかぐつち)を生んだことで死んだ伊邪那美命(いざなみのみこと)を追って黄泉の国に行った伊邪那岐命(いざなぎのみこと)が、伊邪那美命の醜い姿を見て黄泉の国から逃げ出した際に、伊邪那美命が伊邪那岐命を追わせたのが雷神であったということになっています。

 

ところで、雷に関連して「稲妻」の語源を調べてみると、これも面白いことが分かりました。古来、稲が実を結ぶ時期には雷が多く発生することから、雷光が稲を実らせるという信仰があったようで、稲妻は「稲光(いなびかり)」、「稲魂(いなだま)」、「稲交接(いなつるび)」などとも呼ばれています。稲妻の「妻」は、古くは夫婦や恋人同士が互いを呼び合う際に使っていたようで、男女関係なく「妻」、「夫」ともに「つま」と言っていました。このことから、稲妻は「稲の夫」の意味で、後に「つま」に「妻」の字が当てはめられたと考えられるそうです。語源的に言えば、稲妻が雷光(光)を示し、雷が雷鳴(音)を示していることになります。

 

学問の神様として「天神様」の名で親しまれている菅原道真〔承和12年(845年)~延喜3年(903年)〕ですが、彼が死んだ後に雷神になったとも言われています。道真の死後、京都には異変が続き、藤原家の関係者が相次いで病死、延喜8年には朝議中の清涼殿に雷が落ち、多くの死者が出ます。これを道真の祟りだと朝廷は恐れ、道真の名誉回復が実現する訳ですが、それ以来道真の怨霊と雷神が結び付けられ、道真の領地であった桑原には雷が落ちなかったという伝承があったことから、何か恐ろしいことがあると厄災から逃れられるときに「くわばら、くわばら」と御呪いを唱えるようになったそうです。

 

江戸時代、雷神とともに風神がよく絵に描かれています。建仁寺蔵で京都国立博物館に寄託されている国宝の「風神雷神図」は俵屋宗達(生没年不詳)によって寛永年間(16241645年)頃に描かれたものです。また、東京国立博物館所蔵の重要文化財「風神雷神図」は尾形光琳〔万治元年(1658年)~享保元年(1716年)〕によって宝永末年(1711年)頃に描かれたものだと言われています。昔から世界各地で雷神、風神は絵に描かれたり、彫刻に掘られたりとされており、人々にとっては身近な自然信仰の対象となっていたのでしょう。

 

高見澤

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このページは、東藝術倶楽部広報が2017年9月 7日 08:42に書いたブログ記事です。

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