東藝術倶楽部瓦版 20170915:十王から十三仏へー閻魔賽日「十王詣」

 

おはようございます。今朝の東京は曇り、比較的涼しい日が続いています。九州をはじめ西日本ではこれから台風16号の影響による大雨、暴風に警戒が必要になります。明日から3連休の方もおられるかと思いますが、秋の行楽を楽しむというわけにはいかないようです。

 

さて、本日は「十王詣(じゅうおうまいり、じゅうおうもうで)」について紹介したいと思います。「十王詣」とは、毎年正月16日と7月16日を閻魔大王の賽日(さいにち)として、寺院で十王図や地獄変相図を拝んだり、閻魔堂に参詣したりすることです。「睦月」の年中行事で紹介してもよかったのですが、俳句の季語としては「十王詣」を「じゅうおうまいり」と読ませれば新年、すなわち春で、「じゅうおうもうで」と読ませれば夏になり、これはこれで面白い話でもあり、敢えてここでは「文月」のところで紹介させていただきました。

 

この十王詣の日は、地獄の釜の蓋が開いて鬼も亡者も休む日とされています。閻魔大王も鬼も毎日休むことなく働いているというのですから、戦時中「日日月加水木金金」と歌われていた時のように、まさに地獄の日々を過ごしているようにも思えますが、こんな逸話はどこから来たのでしょうか? 働き方改革で週休3日制を導入しようとしている日本では、表向きはまず受け入れられない話ですが、実際には休みなく働き続けている人も少なくありません。

 

正月16日は1年のうちで初めての閻魔賽日(えんまさいじつ)ですから、「初閻魔(はつえんま)」と呼ばれています。この日は「藪入り(やぶいり)」とも言われ、日本の商家の伝統として丁稚や女中といった奉公人が休めるのもこの閻魔詣の日だけで、多くの人が閻魔詣に行ったそうです。こうした奉公人は住み込みで朝から晩まで働き詰めで、休暇は年2回。商家というのは、今ではブラック企業に当るのでしょうか?

 

さて、この十王詣の「十王」ですが、亡者の罪を裁く10人の判官のことを指します。それぞれの王は以下の通りです。

①秦広王(しんこうおう):初七日、殺生を審理

②初江王(しょごうおう):十四日、盗みを審理

③宋帝王(そうだいおう):二十一日、不貞を審理

④五官王(ごかんおう):二十八日、嘘を審理

⑤閻魔王(えんまおう):三十五日、来世の言い渡し

⑥変成王(へんじょうおう):四十二日、生まれ変わる細かい条件を決定

⑦泰山王(だいざんおう:四十九日、六道の中から行先を選択

⑧平等王(びょうどうおう):百か日、再審

⑨都市王(としおう):一周忌、再審

⑩五道転輪王(ごどうてんりんおう):三回忌、再審

 

死者の審理は通常は7回、7日ごとに行われるとされています。7回で決まらない場合は追加の審理が3回行われます。仏事として行われる方法は、こうした考えから来ているようです。死者はこうした審理を通して、来世に六道(地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天)のどこかに生まれ変わることになります。これがいわゆる「六道輪廻」と言われるものです。

 

十王の中でも、特に有名なのが閻魔王です。子供の頃、嘘をついたら閻魔様に舌を抜かれるなどと言われて、驚かされたものですが、今の子供たちには通用しないかもしれません。閻魔王は、一般的には地獄や冥界の主とされ、死者の生前の罪を裁く神として知られていますが、仏教の世界では天界、「六欲天」の第3天である「夜摩天(やまてん)」または「焔摩天(えんまてん)」に座する神で、この世界は時に随って快楽を得られると言われています。六欲天の第2天である「忉利天(とうりてん)〔別名:三十三天〕」までが「地居天(じごてん)」で、夜摩天から上の世界が「空居天(くうごてん)」になります。この辺りの話は、また別の機会に紹介していければと思います。

 

この十王ですが、それぞれが「本地仏(ほんじぶつ)」と対応関係にあるとされています。これは、鎌倉時代に日本で考えられたとされています。ちょうど日本で末法市思想が流行り、新興仏教が出現する時期でもあります。

秦広王:不動明王

初江王:釈迦如来

宋帝王:文殊菩薩

五官王:普賢菩薩

閻魔王:地蔵菩薩

変成王:弥勒菩薩

泰山王:薬師如来

平等王:観音菩薩

都市王:勢至菩薩

五道転輪王:阿弥陀如来

 

この十王に対応した本地仏の考えが、時代が下るとともにその数も増え、江戸時代には十三仏信仰が生まれてきます。法要の際の掛け軸として、よくこの十三仏が描かれています。上記の十王に加えて、その後の3審を行うとされる3尊は以下の通りです。

蓮華王(七回忌):阿閦如来(あしゅくにょらい)

祇園王(十三回忌):大日如来

法界王(三十三回忌):虚空蔵菩薩

 

こうした風習が本来の仏教を伝えているものとは思いませんが、普段何気なく行われている行事としては、何らかの由来があるものも少なくありません。こうした機会を利用して、宗教について自分なりに調べてみるのも面白いかと思います。既存の宗教学から真実を学ぶことはできません。

 

高見澤

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このページは、東藝術倶楽部広報が2017年9月15日 14:20に書いたブログ記事です。

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