東藝術倶楽部瓦版 20170919:鉄砲洲いなり富士詣ー山開きと富士詣

 

おはようございます。昨日は台風一過でよく晴れていましたが、久しぶりに暑さを感じる1日でした。今朝はまた涼しさが戻ってきています。

 

それにしても「文月」には何かと行事が多いことに驚かされます。まだまだ続く文月の行事にお付き合いください。本日のテーマは「山開き(やまびらき)」です。山開きというのは、一般的には霊山などで毎年入山をゆする時期のことを指します。

 

山岳信仰が盛んであった昔は、霊山は神仏を祀っており、入峰修行(にゅうぶしゅぎょう)の場として山伏や僧のみの世界で、一般の人は立ち入ることのできない神聖な場所とされており、無理に入れば天狗に襲われると言われていました。しかし、江戸時代中期頃から、各地に山岳信仰の講が結成され、山頂に祀られている神を拝むための講中登山が行われるようになり、日数を決めて登山を一般の人にも開放するようになりました。この初日が「山開き」となり、解禁の期間の最終日を「山仕舞い」と呼びます。

 

夏になると、日本各地の山々で山開きが行われます。日本の最高峰、富士山の山開きは、元々は旧暦6月1日、現在の暦では7月1日に、静岡県富士宮市にある「富士山本宮浅間神社」で行われるのが一般的です。

 

白装束に鈴のついた金剛杖を携え、「六根清浄(ろっこんしょうじょう)」を唱えながら登る行事を「富士詣(ふじもうで)」と呼びます。「六根」とは、本来人間が具えている五感及び第六感の根幹である六根、即ち眼根(視覚)、耳根(聴覚)、鼻根(嗅覚)、舌根(味覚)、身根(触覚)、意根(意識)のことを指し、それを清らかにすることが「六根清浄」の意味するところとなります。江戸時代、富士登山の許された期間は山開きから旧暦の7月20日まででしたが、現在の富士登山解禁期間は新暦7月1日から8月31日までとされるのが通例です。

 

江戸で富士詣が盛んになるのは江戸時代中期からで、江戸市中には八百八講と言われるほど数多くの講があったと言われています。この講というのは、参拝登山に行くために組む登山隊のことです。とはいえ、標高3776メートルもある富士山に登ることは簡単ではありません。また、女性は登山を禁じられていました。このため、富士講の信者たちは、富士山に模して「富士塚」を築いてそこに参詣し、富士登山の代わりとしていました。関東一円にはたくさんの富士塚が築かれています。都内の富士塚としては、江東区深川にある富岡八幡宮の深川新富士、品川区北品川にある品川神社の品川富士、台東区下谷にある小野照崎神社の下谷坂本富士、渋谷区千駄ヶ谷にある鳩森八幡神社の千駄ヶ谷富士、練馬区小竹にある江古田浅間神社の江古田富士などが有名です。

 

三代歌川豊国と二代歌川広重の共作で、「江戸自慢三十六興 鉄砲洲いなり富士詣(えどじまんさんじゅうろっきょう てっぽうすいなりふじもうで)」という浮世絵があります。元治元年(1864年)に刊行されたものです。現在の東京都中央区湊にある鉄砲洲稲荷神社には、今でも富士塚が残されていますが、もともとこの富士塚は寛永2年(1790年)に築造されたものを、移築、再築を繰り返しながら現在の場所に置かれたものです。ここの山開きも富士山に合わせて7月1日となっています。

 

尚、山開きに対して「海開き」、「川開き」という言葉があります。海開きは海水浴解禁の日で、特段昔から行われていたものではなく、時期は地方や年によって異なりますが、一般に本州では7月1日が多いようです。川開きについては、川遊び解禁の日で、江戸時代から行われている「両国川開き」が有名で、両国橋を中心とした隅田川一帯で茶店や見せ物小屋などが、通常は夕方までの営業だったのが、旧暦5月28日から8月28日までの納涼期間中は夜半まで許可されていたようです。この頃始まった花火大会が現在の「隅田川花火大会」として復活し残っています。

 

高見澤

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このページは、東藝術倶楽部広報が2017年9月19日 07:32に書いたブログ記事です。

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