東藝術倶楽部瓦版 20170920:大三元は厄落とし1?ー半年生存を盛大に祝う「中元」

 

おはようございます。日が明けるのも大分遅くなりました。毎日朝5時過ぎに家を出て、6時頃には職場に着くのですが、今がちょうどその感覚を実感できる季節です。

 

さて、本日は「中元」についてお話ししていきたいと思います。昨今では虚礼廃止と言われながらも、一向に廃れないのが年末の「お歳暮」と夏の「お中元」ですが、中元という言葉からそのお中元を想起する方が少なくないと思います。

 

この中元は旧暦7月15日に行われる雑節の一つで、旧暦正月15日の「上元」、旧暦1015日の「下元」とともに「三元」と呼ばれています。中国では、古代の黄帝や老子の教えに基づく「道教」が宗教として成り立っており、昔から「陰陽二元論」とは別に、「三元思想」という考え方があります。「天・地・人」、「松・竹・梅」、「白・発・中」などもこの三元思想から来ているものだと考えられます。麻雀の役満「大三元」はここから来ているのですね。

 

元々この三元というのは、暦の時間単位である「年・月・日」の初めを意味し、「元年」、「元日」などの言葉もここから来ています。この考え方が、後に1月、7月、10月の15日を、それぞれ上元、中元、下元と呼ぶようになりました。贈答のお中元というのは、この7月15日の中元に由来しているので、本来は、7月15日過ぎに送る贈答品の熨斗紙に「お中元」と記すのはおなしなことになってしまいます。

 

道教に由来する三元の思想ですが、上元は元宵節として厄除け、中元は贖罪、下元は物忌みのための行事がそれぞれ行われていました。中元の日には終日庭で火を焚き、神を祝う習俗がありました。これが、日本に伝わり、仏教の「盂蘭盆(うらぼん)〔お盆〕」の行事と混同され、盆の贈答儀礼としてお中元に受け継がれていったものと考えらます。当初は、罪や穢れを贖う意味を込めて近所に贈物をしていたものと考えられているようです。

 

旧暦7月15日というのは必ず十五夜の月、すなわち満月の日であり、日本ではこの中元の日に半年生存の無事を祝うことが本来の趣旨であったようです。これに、祖先を供養する盂蘭盆の行事が重なったのではないかと考えられます。この盂蘭盆については、8月の年中行事で改めて取り上げたいと思います。

 

江戸時代、飢饉の際などに出された倹約令では、中元のやりとりを一切禁ずる旨の条が記されていたようです。お中元としての贈答の習慣は、その頃からすでに庶民の間にもかなり定着していたことが分かります。

 

高見澤

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このページは、東藝術倶楽部広報が2017年9月20日 09:16に書いたブログ記事です。

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