東藝術倶楽部瓦版 20170921:丑の日にかごで乗り込む旅鰻-土用丑の日

 

おはようございます。大分涼しくなりました。今朝も半袖のワイシャツ姿で出勤したのですが、少し肌寒さを感じるようになりました。歩いていると少し汗をかくほどだったので、まだ寒いということはありませんでしたが、そろそろ長袖のワイシャツに上着が必要になりそうです。

 

さて、本日のテーマは「土用丑の日」です。土用の丑の日には、何をおいても「ウナギを食べる」というのが、現代の日本人の習慣となっています。ただ、最近ではウナギの値段が高過ぎて、なかなか満足するまで食べられないのが、残念なところではあります。今では高級食材のこのウナギですが、江戸時代は下魚として庶民の間でよく食べられており、安い魚の代名詞でもあり、川や運河のほとりの屋台で供されることが多かったようです。

 

この「土用丑の日」の「土用」ですが、「土旺用事(どおうようじ)」を略したもので、雑節の一つに数えられ、実は、土用は夏に限ったものではなく、春夏秋冬の各季節にあります。これもまた中国の陰陽五行説に由来していて、「春」、「夏」、「秋」、「冬」をそれぞれ「木」、「火」、「金」、「水」に当てはめ、それから外れた「土」を季節の変わり目として立春、立夏、立秋、立冬の前の約18日間と定めたものです。約18日としているのは、現在の旧暦の計算が定気法による天保暦に基づいているからです。定気法は太陽黄経に基づいて計算されますので、特定期間の日数が一定でないことから、土用も日数が18日ではない場合が生じます。これが寛政暦以前の平気法で計算すると、こちらは日数による計算になるので、18日と決まった期間になるというわけです。このお話は、改めて解説したいと思います。

 

ちなみに、今年2017年の土用を見てみると、定気法では以下の通りになります。

冬土用:1月17日~2月3日

春土用:4月17日~5月4日

夏土用:7月19日~8月6日

秋土用:1020日~11月6日

各土用の最初の日を「土用入り」、最後の日を「土用明け」と呼び、土用明けの日は四立の前日、即ち「節分」に当たります。

 

一方、「丑の日」というのは、以前も紹介した「十二支」を日にちに当てはめたその日を示します。つまり、約18日間の中にある丑の日が「土用丑の日」となるわけです。ですから、「土用丑の日」が2日ある場合も生じます。ちなみに2017年は、夏土用の丑の日が7月25日と8月6日の2日ありました。つまり、ウナギを食べる絶好の言い訳の機会が二回あったいうことになります。

 

夏土用の丑の日にウナギを食べるようになった由来ですが、諸説ある中で最も有力なのが、江戸時代に平賀源内〔享保13年(1728年)~安永8年(1780年)〕が考案したとされる説です。天然ウナギの旬は、本来であれば秋から冬にかけてです。とはいえ、例年5月から獲り始め、12月には漁が終了するので、当然夏にもウナギが市場に出回ります。当時、夏にウナギが売れないで困っていたウナギ屋が源内に相談したところ、源内は「"本日丑の日"という張り紙を店に貼る」というアイデアを出し、それをやってみたところその店は大繁盛し、これを他のウナギ屋もこぞって真似をして、やがて「土用丑の日はウナギの日」という風習が定着したというのです。

 

「丑の日にかごで乗り込む旅鰻(たびうなぎ)」

「旅鰻」とは地方から江戸に持ち込まれたウナギのことです。土用丑の日にはウナギの需要が高まり、江戸前だけでは間に合わなくなった様子を伺い知ることができる江戸川柳です。夏に売れないウナギを売る販売促進が当初の目的も大成功した裏には、もともと丑の日に梅干し、瓜、うどんなど、「う」のつくものを食べると病気にならないという言い伝えがあったことも幸いしたようです。

 

昔から、夏の土用の時期に、カビや虫の害から守るために衣類や書物を陰干しする「土用の虫干し」が行われていました。また、この時期の田んぼには水を入れず、土をひび割れ状態にして、雑菌の繁殖を抑え、根をしっかり張るようにします。更に、この土用の期間は「土公神(どくしん、どくじん)」という神様が支配されるといわれ、土を動かすことを忌み嫌い、農作業や家造りなどで土を掘り起こすことを避けていました。土用は季節の変わり目でもあり、体調を崩しがちなので、体を酷使する重労働を戒めていたのかもしれません。それぞれの風習にもそれなりの意味があるのかもしれません。

 

高見澤

2021年1月

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このページは、東藝術倶楽部広報が2017年9月21日 08:51に書いたブログ記事です。

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