おはようございます。東京は大分肌寒くなりました。これから徐々に寒さ対策をしていかなければなりませんね。今年のノーベル文学賞は期待の村上春樹氏ではなくて、日系英国人のカズオ・イシグロ氏でした。何かと裏がありそうなノーベル賞ですが、日本関係者が受賞したことを聞けば、それなりに何となく嬉しい気持ちにはなります。
さて、本日のテーマは「六道参り(ろくどうまいり)」です。この六道参りは、毎年8月7日から8月10日に、京都市東山区にある大椿山・六道珍皇寺(だいちんざん・ろくどうちんのうじ、ろくどうちんこうじ)で行われる「精霊迎え(しょうらいむかえ)」の行事です。京都では、8月13日から8月16日まで盂蘭盆(うらぼん)が行われますが、その前の8月7日から10までの4日間に精霊(御魂)を迎えるめに、六道珍皇寺に参詣する風習があります。このことを「六道参り」あるいは「お精霊さん迎え」とも呼んでいます。
平安時代、六道珍皇寺のある鳥辺山の麓は墓所として名高かったこともあり、古くからこの辺りが冥土への分かれ道、生死の境、冥界への入り口、六道の辻などと言われてきました。そして、盂蘭盆には、冥土から帰ってくる精霊たちも、必ずここを通るものと信じられてきました。
「六道」は、以前にも「六道輪廻」ということで、本メルマガでも少し触れてみたことがありますが、ここで詳細に説明しておきたいと思います。「六道」とは、仏教の教義で、地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人道、天道の六つの冥界を指し、それぞれの生命体は因果応報により、死後はこの六道を輪廻転生するというものです。この六道の分岐点、即ちこの世とあの世との境となる辻が、昔から六道珍皇寺にあると信じられているのです。
「愛宕(おたぎ)の寺も打ち過ぎぬ、六道の辻とかや。実(げ)に恐ろしやこの道は、冥土に通ふなるものを。心ぼそ鳥辺山、煙の末も、うす霞む...」〔謡曲「熊野(ゆや)」〕
六道珍皇寺の起源は定かではありませんが、最も有力な説としては、延暦年間(782年~805年)に、真言宗の開祖である弘法大師・空海の師の慶俊(けいしゅん)が創建し、愛宕(おたぎでら)と言われたというものです。空海が創建したという説、あるいは小野篁(おののたかむら)〔延暦21年(802年)~仁寿2年(853年)〕が創建したとの説もあります。また、承和3年(836年)に豪族の山代淡海(やましろのおおえ)らが国家鎮護の道場として創建したという説もあります。鎌倉時代には、東寺(教王護国寺)に属している真言宗のお寺であったようですが、兵火により荒廃、その後、貞治3年(1364年)に京都建仁寺の聞渓良聡(もんけいりょうそう)が再興し、真言宗から臨済宗に改められたとのことです。明治時代には一時建仁寺に併合されたこともありましたが、明治43年(1910年)に独立、今でも臨済宗建仁寺派の寺院となっています。
六道参りの期間中、六道珍皇寺の秘仏である6体の観音菩薩像が開扉され、六道に迷っている霊を、観音の加護によって各々の家に迎え、供養すると言われています。参詣人は、この日、「迎え鐘(むかえかね)」という鐘をついて精霊を迎え、門前で槇の枝と早稲を買い求める習わしがあります。迎え鐘は十万億土の冥界に響き渡るとされています。
この六道参りは、六道珍皇寺のほかに、京都市上京区にある「千本釈迦堂(大報恩寺)」でも行われており、こちらの期間は毎年8月8日から12日までと16日です。こちらでも秘仏の六観音菩薩像(聖観音、千手観音、馬頭観音、十一面観音、准胝観音、如意輪観音)の御開帳があります。千本釈迦堂の創建は承久3年(1221年)とされています。
六道を廻る輪廻の旅、そこからの解脱こそが彼岸。霊や魂さえも科学的でないと否定される現代ですが、現にこうした信仰は今でも続いています。さて、真実は一体どこにあるのでしょうか?
高見澤