東藝術倶楽部瓦版 20171011:長野県佐久地方の8月1日の墓参りー「戌の満水」

 

本日は、少し毛色を変えて我が故郷、長野県佐久地方で行われている重要な8月の行事について紹介したいと思います。

 

普通、墓参りと言えば彼岸やお盆の頃というのが一般的ではないでしょうか。ところが長野県佐久地方(佐久市、小諸市、南佐久郡、北佐久郡)では、毎年新暦8月1日に行われているのです。今でも事業所によっては、この日を休日扱いするところもあるようです。子供の頃は何の疑問も感じることなく、それが当たり前のこととして、祖母や両親と一緒に8月1日に墓参りをするのが常でした。私の生まれた南佐久郡佐久穂町(旧佐久町)では、7月27日、28日に行われる祇園祭とともに、唯一花火をすることが許される夏休みの楽しみの日であったことを、今でも鮮明に覚えています。先日亡くなった父親が、毎年その数日前には親戚の人たちと寺の敷地内にあるお墓に、草刈りや掃除に赴いていました。

 

では、なぜ彼岸でもなくお盆でもない8月1日なのでしょうか? こうした疑問が湧いて出てきたのは、やはり故郷である佐久を離れてからです。佐久という小さな地域の中では当たり前であったことが、外に出てみるとそれが特殊なものであることが分かる機会も少なくありません。この8月1日の墓参りもかなりの特殊性を帯びていることが、佐久を離れてみて始めて分かったということです。

 

江戸時代、寛保2年(1742年)旧暦8月1日、長野県の千曲川及び犀川流域で大洪水が発生します。その当時の被害の記録から、台風が大坂付近に上陸し、北上して中部・関東地方を縦断、三陸沖から太平洋に抜けたようで、秋雨前線の活動に刺激を与えたとも言われています。7月27日から降り始めた雨は、ほとんど止むことなく8月1日まで続き、千曲川とその支流は大氾濫、大洪水となり、一部で山崩れを引き起こしました。千曲川上流にある現在の南佐久郡佐久穂町上畑の集落は一夜にして流失、248人が溺死、佐久平各地で流失家屋230戸余り、小諸では浅間山麓から流下する中沢川や松井川で土石流が発生して小諸の町を直撃、死者584人、流家373戸の大被害をもたらしたとされています。この未曾有の大被害は、寛保2年が「壬戌(みずのえいぬ)」の年であったことから「戌の満水」と呼ばれています。

 

この「戌の満水」による被害は、佐久地方だけではなく、その千曲川の下流にある小県(ちいさがた)、上田、長野の各地方でも発生し、千曲川流域だけで約2,800人の犠牲者が出たとされています。田畑の被害も尋常ではなく、これによる松代藩の財政の困窮も明治まで続いたとのことです。この台風による暴風雨の影響は千曲川や犀川のみのらず、関東の利根川、荒川でも大洪水が発生、関八州全域に被害が及び、田畑の流失は80万石に達したと言われています。

 

佐久地方では、この「戌の満水」によって亡くなった人の菩提を弔うために、大洪水が発生した8月1日に墓参りをするようになったということです。もっとも旧暦8月1日は、新暦では8月30日に当りますが、今では8月1日という日にちだけが残り、新暦8月1日に墓参りが行われています。この風習は、どういう訳か佐久地方特有のもので、同じように被害にあった上田や長野など他の地方では残っていません。

 

こうした地域独特の風習を、江戸と絡めて調べてみるのも一興です。それに、浮世絵のような証拠となるような画像があると面白みが倍増します。

 

高見澤