東藝術倶楽部瓦版 20171013:地獄の鬼も休む「藪入り」と「後の藪入り」

 

おはようございます。比較的暖かい日が続く東京ですが、今朝は雨が降り始め、風も少し出てきています。暑さ寒さを繰り返しながら、都会の自然も冬に向けた準備が進められているようです。

 

さて、本日のテーマは「後の藪入り(のちのやぶいり)」です。「藪入り」については、「十王詣」のお話しをした際に少し触れましたが、ここではそれについても詳しく紹介していきたいと思います。

 

江戸時代、住み込みの奉公人は、実際のところ正月と盆しか休暇がなかったことは、以前にも「十王詣」のところで紹介した通りです。旧暦正月16日に、1日の休みをもらって生家に帰ることを「藪入り」といい、盆の旧暦7月16日の休みのことを「後の藪入り」、或いは「秋の藪入り」と呼んでいます。昔は、奉公人には定休日などなく、また嫁いだ嫁も実家に帰ることはままならなかったので、この藪入りだけが、大手を振って生家や実家に帰ったり、遊びに出かけたりできる日でした。

 

藪入りの前日は1月15日で小正月、後の藪入りの前日は7月15日のお盆で、いずれも重要な祭日でした。そこで奉公先や嫁入り先の用事を済ませて、その翌日である16日に休みが与えられたということで、奉公人たちにとっては待ち遠しい貴重な日であったに違いありません。

 

藪入りの日に、主人は奉公人に対して着物や小遣いを与えたそうです。親元に帰ることができる者は親子水入らずの一時を過ごし、帰れない者は芝居見物や閻魔詣に出掛けたりして、年2回の休みを楽しんだことでしょう。この藪入りの伝統が、今でも正月や夏休みの帰省という形で残っています。

 

また、藪入りの時期は「閻魔賽日」で鬼も亡者も休みの日であることは前にも説明した通りです。その日に畑仕事をすると、地獄の蓋が開いて霊が飛び出してくるので、仕事をしてはいけない日とされていました。

 

藪入りの語源ですが、実家に帰るという意味の「宿入り」が訛ったという説、都会から薮深い田舎の生家に帰るからといった説があります。江戸中期の正徳2年(1712年)に編纂された類書(百科事典)『和漢三才図絵』(寺島良安編纂)には、「孤独な身の上の者は、帰る家もないので、薮の中に入って遊ぶのも随意という意味だろうか」との解釈が載っているようです。関西では、「6」という数字から「六入り」、九州では「親見参(おやげんぞ)」などと呼ぶところもあります。

 

とても嬉しい事や楽しい事があったときに、「盆と正月が一緒に来たようだ」と表現することがありますが、これもまたこの藪入りの嬉しさが語源になっているようです。

 

藪入りは「走百病(そうひゃくへい)」とも呼びます。休みをもらった奉公人は、寺の境内や門前の店で遊ぶことが多く、走百病を藪入りの別名としたようです。北京など中国の北方地域の伝統民族文化として明・清の時代から正月16日(又は15日)に寺院に詣でる習慣があります。これを「走百病(zoubaibing)」、「遊(you)百病」、「散(san)百病」と言うそうですが、何かしら関連がありそうですね。

 

高見澤