東藝術倶楽部瓦版 20171016:江戸時代に大きく発展した念仏踊ー「六斎念仏」

 

おはようございます。今朝の東京は雨、ここ2、3日雨が続いています。秋の長雨、「秋雨」には時期的に少し遅いような気もしますが、この雨の後は冬に向けてまっしぐらといったところでしょうか。

 

さて、本日は、「六斎念仏(ろくさいねんぶつ)」について紹介したいと思います。六斎念仏は、盆または地蔵盆を中心に京都地方で行われる「念仏踊り」のことです。地蔵盆とは、地蔵菩薩の縁日で、昔は旧暦7月24日、今では8月2324日に京都を中心とする近畿地方で行われている行事のことですが、六斎念仏は8月25日に行われます。

 

「六斎」とは、仏教でいう「六斎日(ろくさいにち)」のことで、月のうち特に身を慎み持戒清浄であるべき日とされる8、1415232930日の6日を指します。昔は、悪鬼が出てきて命を奪う不吉な日とされ、この日に鉦をたたき、踊念仏を修したといわれています。古くはこの六斎日に基づいて行われていましたが、現存する六斎念仏は盂蘭盆や送葬に際して行われています。

 

発生は平安時代中期の「空也上人(くうやしょうにん)」〔延喜3年(903年)~天禄3年(972年)〕にあるとされ、現在では空也堂〔極楽院〕系と干菜(ほしな)寺〔光福寺〕系があります。

 

念仏踊りは口に念仏や和讃(わさん)などを唱え鉦、太鼓、瓢などを打ち鳴らしながら踊躍歓喜するもので、全国各地にいろいろな型が伝承されています。中でも京都の六斎念仏で演じられる曲目は多種多様で、念仏系の「発願(はつがん)」、「回向唄(えこううた)」、「弥陀願唱(みたがんしょう)」、「念仏」、「結願(けちがん)」等に加え、能楽系の「道成寺(どうじょうじ)」、「鉄輪(かなわ)」、「頼光」、「八島」、「石橋(しゃっきょう)」、「安達が原」等、また歌舞伎系の「和唐内(わとうない)」、「手習子(てならいこ)」等があり、更には「祇園囃子(ぎおんばやし)」や「四ッ太鼓」などもあります。楽器は笛、鉦、摺鉦(すりがね)、大太鼓、豆太鼓を用い、服装はそろいの浴衣が一般的です。

 

これらは、江戸時代に能、歌舞伎、長唄、獅子舞、万歳(まんざい、新年に家々を回り祝言を述べ舞を見せる門付芸能)、願人坊主(がんにんぼうず、江戸時代に門付けや大道芸能を演じて人に代わって参詣・祈願の修行や水垢離などをした乞食僧)などの芸能を取り入れ工夫して、芸能的・娯楽的に発展しました。

京都市内の吉祥院(きっしょういん)六斎、千本閻魔堂(えんまどう)六斎などは国の重要無形民俗文化財に指定されており、このほかに京都府下から滋賀県や福井県の若狭にかけて残存しています。

 

高見澤

2021年1月

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このページは、東藝術倶楽部広報が2017年10月16日 10:01に書いたブログ記事です。

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