東藝術倶楽部瓦版 20171023:看月、諸所賑へり。家々団子、造酒、すすきの花等月に供すー「仲秋の名月」

 

おはようございます。台風21号が静岡県に上陸したこともあって、今朝の東京は強い風と雨にさらされています。それでも通勤する人はいるんですねぇ。日本人は本当に律儀なところがあります。先週末は北京に行ってきました。慌ただしく出張の日程をこなし、土曜日は朝4時起きで羽田行の飛行機に飛び乗り、無事午後の歌舞伎座の公演には間に合いました。久々の歌舞伎観賞でしたが、玉三郎、鴈治郎、芝翫等の演技に見入ってしまいました。

 

さて、9月といえば、何と言っても「仲秋の名月」を抜きには語れません。本日のテーマはこの「仲秋の名月」でお話しを進めていきたいと思います。

 

そもそも「仲秋」とはどういう意味なのでしょうか? 秋は「三秋(さんしゅう)」と呼ばれ、「初秋(しょしゅう)〔孟秋(もうしゅう)〕」、「仲秋〔中秋〕」、「晩秋(ばんしゅう)〔季秋(きしゅう)〕」に分けられ、それぞれ旧暦7月、8月、9月を指します。秋の真ん中ということで、仲秋とは旧暦8月の異称であるわけです。

 

中国では、もともと旧暦8月の「望(ぼう、もち)の日」を「中秋節(八月節)」と呼び、菓子や果物を月に備える風習がありました。一説には唐の時代(618年~907年)からこの風習があったようです。時に話題となった「月餅(げっぺい)」は中秋節の供物ですが、今では贈答用の品物として各所で行き交いしています。「時に話題となった」というのは、習近平政権になる前は、役人に対する賄賂の意味もあって何万円、何十万円もするような月餅(箱の底には山吹色のブツが潜んでいたり...)が取引されているようなこともあったようです。月餅は形が円いことから「円満」に通ずるとされ、語呂合わせが好きな中国人としては格好の供物となったのでしょう。

 

日本で仲秋の望の日の夜を「十五夜」と呼ぶのは、旧暦8月の満月の日が15日であるからです。日本でも古くから円い月見団子を供えて「十五夜」の夜を愛でる風習がありました。仲秋の名月の風習は平安時代に中国から伝わってきたもので、最初は貴族の間で取り入れられ、それが次第に武士や民衆の間に広まっていったものですが、古来日本では旧暦9月13日(晩秋の満月の日)に月見をする習慣があります。これを「十三夜」、あるいは「後(のち)の月」と呼び、中国にはないものです。地方によっては、収穫祭も兼ねて里芋や豆を供えるところもあり、これを「芋名月」、「豆名月」と呼ぶそうです。東北地方では、8月の十五夜を豆名月、9月の十三夜を芋名月といい、西日本ではその逆に呼ぶところが多いといわれています。

 

江戸時代には、十五夜の月を観たら必ず十三夜の月を観るものとされていたようで、どちらか片方しか観ないことを「片見月」または「片月見」と呼び、縁起が悪いとされていました。また、庶民が月に供物をするようになったのは江戸時代になってからで、ススキに団子を供えたのは江戸時代後期から始まったとされています。

 

「看月(つきみ)、諸所賑へり。家々団子、造酒(みき)、すすきの花等月に供す。清光くまなきにうかれ、船を浮かべて月見をなす輩多し」『東都歳時記』〔天保9年(1838年)〕

 

月見を楽しむ江戸の人々の姿が目に浮かびます。

 

高見澤

2021年1月

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このページは、東藝術倶楽部広報が2017年10月23日 08:49に書いたブログ記事です。

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