東藝術倶楽部瓦版 20171025:清和源氏相伝の「流鏑馬」

 

おはようございます。台風21号による被害のひどさが明らかになる中、今度は台風22号が発生し、今週末には日本列島に近づく可能性があるとの予報が出ています。災害が続くときは何度でも繰り返し発生することが少なくないので、十分な備えが必要でしょう。

 

さて本日は、神奈川県鎌倉市の鶴岡八幡宮で行われる「流鏑馬(やぶさめ)」について紹介したいと思います。流鏑馬は、武士の鍛錬方法として行われた馬術と弓術を組み合わせた競技(「騎射」)で、「犬追物(いぬおうもの)」や「笠懸(かさがけ)」とともに、「騎射三物(きしゃみつもの)」の一つに数えられています。騎射自体は紀元前8世紀頃にスキタイ人によって始められたとされ、中央アジアの遊牧民の間で広まり、モンゴル人によって世界に普及していったと考えられています。

 

流鏑馬は、疾走する馬上から「鏑矢(かぶらや)」を放ち的を射ます。距離2町(約218メートル)の直線馬場に、騎手の進行方向左手に3カ所の的があり、騎手は馬を全力疾走させながら連続して的を射ぬくものです。このため「矢馳せ馬(やばせうま)」と呼ばれ、それが時代が下るにつれて「やぶさめ」と言われるようになったそうです。笠懸との違いは、流鏑馬の的が一定であるのに対し、笠懸は的が上下、左右、大小と変化がつけられており、流鏑馬よりは実践的で難度が高くなります。

 

流鏑馬の起源は、寛平8年(896年)に源能有(みなもとのよしあり、文徳天皇の皇子、清和天皇の兄)〔承和12年(845年)~寛平9年(897年)〕が宇多天皇の命により「弓馬の礼」を制定したことにあるとされています。以後、弓馬の技術は清和源氏の始祖である六孫王・源経基(みなもとのつねもと)〔未詳~応和元年(961年)〕に伝承され、清和源氏が相伝するようになったと言われています。

 

平安時代後期の日記『中右記(ちゅうゆうき)』〔中御門右大臣の日記〕「永長元年(1096年)の項」には、鳥羽殿の馬場で行われたことが記されており、馬上における実戦的弓術の一つとして平安時代から存在していたことが分かります。その後、鎌倉時代に盛んになり、しばしば神社に奉納されるようになりました。『吾妻鏡』には、源頼朝が西行に流鏑馬の教えを受け復活させたことが記されています。鎌倉時代には武士の嗜みとして幕府の行事に組み込まれていましたが、先方が集団戦闘の時代になる室町から戦国時代にかけて、一時廃る時期もあったようです。

 

江戸時代に入り、享保9年(1724年)、時の将軍・徳川吉宗の命を受けた小笠原流20代小笠原常春は同家伝来の書を研究、新たな流鏑馬を制定して、古式とともに奥勤めの武士たちに流鏑馬や笠懸の稽古をつけるようになります。享保13年(1728年)、徳川家重の世継のために疱瘡治癒祈願として穴八幡宮北の高田馬場にて流鏑馬を執り行い、これを奉納しました。それ以降、将軍家の厄除けや誕生祈願の際などには、度々流鏑馬が行われるようになりました。

 

鶴岡八幡宮の流鏑馬は、文治3年(1187年)8月15日(旧暦)、源頼朝が放生会の後に奉納したのがその始まりとされており、『吾妻鏡』によれは、8代執権・北条時宗の時代までに47回の流鏑馬が奉納されたとのことです。今では、例大祭(9月14日~16日)に流鏑馬が奉納され、これはその古い型を正しく伝えるものと言われています。舞殿で神酒拝載式を行った後、弓袋差郎党を従えて三騎の射手が境内の馬場に入場します。先導に神職、総奉行、馬場元来役、的立などが進み、鎌倉時代の鎧武者の行列が続きます。行列が馬場を一巡すると、総奉行の合図とともに、一の射手が2町の馬場を、3つの板的を次々に鏑矢で射ながら駆け抜けます。当日は、神輿渡御や鎌倉神楽の八乙女舞なども行われます。

 

尚、鶴岡八幡宮では9月の例大祭のほかにも、4月の鎌倉祭りの時にも流鏑馬が奉納されます。例大祭の流鏑馬は小笠原長清(おがさわらながきよ)〔応保2年(1162年)~仁治3年(1242年)〕を祖とする武家礼法「小笠原流」で、鎌倉祭りは武田信光(たけだのぶみつ)〔応保2年(1162年)~宝治2年(1248年)〕を祖とする「武田流」です。小笠原長清と武田信光は、木曽義仲に仕え後に源頼朝の御家人になった海野幸氏(うんのゆきうじ)〔承安2年(1172年)~不明〕、望月重隆(もちづきしげたか)〔平安末期(不明)~鎌倉(不明)〕とともに「弓馬四天王」と呼ばれています。

 

高見澤

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このページは、東藝術倶楽部広報が2017年10月25日 10:23に書いたブログ記事です。

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